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ALANET 社長ブログ

京都唯一のスーツメーカーの二代目社長の
ファッションと映画の今昔歴
ながい言い訳

 まあ、一体なんということでしょう。長い間、定期的につづけてきたブログを一年以上もさぼってしまいました。誠に怠慢のきわみですが、まづは言い訳から聴いていただきます。

 

 他人から見ると別になんでもない話なのですが、この一年は私の70年の人生にとって数少ない大きなターニングポイントとなる出来事がありました。それゆえ、時間はイクラでもあったのですが、ゆっくり集中してブログを書く心のゆとりがありませんでした。

それと、長年共に歩んできた弟を三年前になくし心にぽっかりと穴が開いて何をするにしても気合が入らない状態でした。

まあ、なんとか日常の業務は支障なくやってまいりましたが、数年前から抱えている難病のミトコンドリア病が以前よりも悪化し最近では殆んど歩けない状態です。歩けないと言うことは本当に不自由です。幸いなことに内臓や脳や心臓には異常なく、足が動かないということ以外は健康です。

 以前から、どちらかというと行動派の方で、あれもしたい、これもしたいと思う行動範囲が大幅に狭められます。立っているのがやっとの状態で、杖を突いて数歩歩くと、もうフラフラです。そんな状態なので、直ぐ疲れてしまい根気や粘りが失われます。多田、救われるのは命には別条が無いということですが、いくら小さな会社と言えども、こんな状態でいつまでも社長が務まるわけがありません。まして、我々の商売はアパレル業です。つまり、男をかっこよく、オシャレにさせるための服をつくる仕事なのに、足の悪い老人が店の中をウロウロしているなんてイメージダウンもはなはだしい限りです。何度も言うようですが、いくらわが社のような小さな会社と言えども、その長たる者は心身ともに健康でないと、うまくいくはずがありません。まして、今はとても厳しい状況です。昔のように、「頑張ったら、何とかなる」というような社会状況ではありません。

 顔には、出しませんが、いつも危機感を感じ落ち着かない状態でした。決して人には言えませんが、

   「ああ、ぼちぼち潮時かなあ」と心の隅で思うようになりました。

 

 そんな頃、私の様子を何時もそばで見ていた息子が哀れに思ったのか、社長交代を了解してくれました。そこで、めでたく昨年の八月に三代目が誕生いたしました。あとを継いでくれるということは、本当にありがたいことです。世間では、我々のような、小さな家業で、跡継ぎが無く困っておられる話をよく聴きます。それと、たとえ息子や娘であっても、その家業の仕事内容が好きでないと勤まりません。仕事だからとか、仕方なくとか、やらなくてはならないからとか、では絶対に続きません。この仕事が好きで、天職と思えるか、、、そこがとても重要なのです。

 

 それから、ちょうど一年が経過しましたが、この一年は今までに無い違った苦労がドンドン発生し、実際に仕事は何もしていないのですが、常に気持が落ち着かない状態でした。全て、自分がやらないときがすまない性格で、なんでもかんでも、自分がやってきました。今までずうっとそういう生活でしたのに、たとえそれが息子と言えども人に任せていくと言うことが別の意味で大変なことやなあと、改めて思いました。

 大きい方向性は、たとえ同じでも、任せた以上、決して、いちいち小さなことで口出ししてはあかんと心に念じながらも、ついつい気になって言ってしまうものです。そのような、モヤモヤした心をコントロールすることが精一杯で何かしら落ち着かない一年でした。両手両足を縛られて、さらに、口をふさがられたような1年でした。

 

 親の私が言うのも、おかしな話ですがなんとか彼なりによく頑張っていると思います。

 

   親ばかですね。

 

 親父がもし生きていたら、きっと泣いて喜んだと思います。アラネットが七十年続いて、しかも三代目が誕生したのですから、、

   (ところが成績がよくありません)

生前、親父が私によく言っていました。「お前みたいなもんが、やったら会社は1年も、もたんは、、」と、今思うと、その時おやじは口ではそういっていたのですが、きっと心では、あとを継いでくれたということを喜んでいたと思います。今の私の思いと、そのときの親父の私に対する思いを重ね合わせて考えると、あの言葉は私に対するエールだったのでしょう。親父の教育法は私にいつもボロクソに言い、さんざんムカつかせ、そこからやる気を起こさせると言う、いわゆるスパルタ教育でしたので決して甘い言葉を言いませんでした。しかし、ふっとしたときに見せるあの親父の笑顔は決して忘れてはおりません。

 

 きっとこのブログを読んでくださっている皆様は、わづか数人の家業でたかが息子に譲っただけの話やないかとお思いでしょうが、そこには、私なりに秘めた喜びと、大丈夫やろかという不安が入り混じり、なんとも心が揺れた1年だったのです。

 

   書いていて恥ずかしいほどの長い言い訳でした。

 

 それともうひとつ、私にとってとても大きな仕事を、この1年でやりました。それは本業であるアラネットとは別に私個人の不動産賃貸業を法人化し、アラネットが紳士服と不動産業を両方するという形態に変えました。金融の問題、税制の問題、と色んな困難がありましたが、銀行の方と税理士さんとで散々やり取りして、今年の7月でやっと登記が完了して、やれやれといったところです。ちょっとこのブログでは詳しいところまでは書けないのですが、長年描いてきた私の計画がやっとの思いで完了いたしました。これをもちまして、私の仕事はもう殆んどありません。いずれにせよ、全ての責任は死ぬまで免れませんが、私としての日常の業務からは解放されます。これでやっと代替わりが出来たということを、ひしひしと感じ、何かほのかに達成感を感じました。

 

   後は、息子が頑張るだけです。

 

ありがたいことに、アラネットを今まで支えてきてくれた社員がおり、息子が少々ふらついても、きっとみんなが軌道修正してくれるでしょう。これで、めでたく私は用なし人間になれたわけです。

 

 さあ、これから何をしましょう。足が動かなくても出来ることはいくらでもあります。今までとは違う喜びや生きがいを探していこうと思っています。

 

   追伸

       また、息子に怒られそうです。「話しがくどい」と、、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| - | 12:40 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ペペと暮らせば

 前回、免許書の返納について二回にわたり書きましたが、あれからサッパリ元気がでません。と言うのも毎日の通勤はさることながら、ちょっとした外出も、車が乗れないと誠に不便極まりなく、どうしても、ついつい家にいる時間が長くなり、いわゆる「ひきこもり」状態です。家内は割りと出好きで1日家にいるということはめったにありません。

本を読みかけても老眼が始まっており目がチカチカして直ぐにいやになります。又、昼のテレヴィを見ても何も面白くありません。そんな時、唯一頼りになるのがペペです。私が抱えているやっかいなミトコンドリア病で足がだるくて仕方ないとき、私を励ましてくれるのがぺぺです。ペペがいてくれるお陰で毎日の生活に活力が生まれます。

 

 もうすっかり家族の一員なのです。

 

二年前、彼との劇的な出会い以降、病気もせず、すくすく育ってくれて今や我が家はペペなくしては考えられません。今回は可愛いペペについて書きたいと思います。

 

   とりあえず彼は素直でやさしい、いい子です。

 

ペペは自分なりに一日の行動が決まっており、朝六時過ぎると「はよ起きろ!」と言わんばかりに吠えまくります。それが不思議と毎朝ほぼ同じ時間なのです。まるで腕時計をしているのではないかと思うほど時間が正確なのです。まだ眠たいのに、仕方なく起きて庭に出してやります。すると、おしっこをして直ぐに戻ってきます。それと、ご飯の時間もそうです。子犬の頃と違って成犬になってからは朝晩2回です。可愛そうですがペペのためと思い肥満防止のためドッグフードしかやっていませんが、ちゃんと時間どうりに催促します。そのほかは、ほとんど昼間は寝ているのです。私が家にいる時間は一人用ソファーの背もたれを、うんと後ろまで下げ、オットマンに足を出して座っているのですが、私のお腹の上でずーっと寝ています。時には、イビキさえかいているときがあり、何時も家内と言っているのですが本当に気楽な犬です。ところが、人がきたり、宅配のトラックが家ノ前に止まったら「さあ仕事や!」と言わんばかりに飛び起きて玄関のほうへ走っていくのです。びっくりします。人間なら気持ちよく昼寝をしていて急に起こされたら大変不機嫌になるのですが彼は人が感じないほどの車や人の足音で一気に仕事モードになるのです。まるで、家のセキュリテイはわしに任せておけといわんばかりです。

彼のもう一つえらいと思うことがあります。岩倉と言う辺鄙な場所と、人付き合いの悪さから、めったに来客はありませんが、一度来たひとは必ず覚えているのです。一般的に犬好きの人は、上手に犬をあやし自然にアプローチされますが、犬嫌いの人は犬から離れようとされます。すると、犬は余計に近づいて吠えます。

 先日、久しぶりに、私の友人が来ました。其の友人はどうやらあまり犬好きではないらしく彼が家にいる10分か15分の間ずっと吠えていました。そして数週間して再び彼が来たときは、しっぽをふって喜んでいるのです。ぺぺはきっと「この人は主人の友達や」と認識したのでしょう。其のときのペペの誇らしげな顔に私は大変満足でした。それだけではありません。ぺぺは人の心が良く分かるのです。我が家は私と家内とぺぺの三人暮らしです。彼は、われわれの1日の行動を把握しており、平日の通常の出勤の日は朝からキビキビした行動をとりますが、休みの日は、それなりにリラックスしているのです。まるで、曜日まで分かっているのでは、、、と思うほどです。

 ぺぺは2014年5月生まれのミニチュアダックスの男の子です。毛色は狐色で、短い短い毛のスムースという犬種で、目と鼻だけが真っ黒で大変、端正な顔立ちをしています。

 

   たいへん男前です。

 

ダックス特有の体型で、やたら胴が長く手足が太く短いです。この種の犬は体臭があると一般的に言われていますがぺぺは全然においません。しかし、われわれ以外の第三者が家に入ってこられたら、やっぱり犬くさいと思われるでしょうね。きっと、われわれは麻痺しているので、それが分からないのでしょう。

 

前にいた、「ナナ」は小さいくせに大変えらそうで短気な犬でいた。それは子犬のころ、甘やかしすぎたんだと思います。そいいう教訓もありぺぺには小さい頃から、なるべく厳しく育てたつもりですが、人から見るときっと甘いと思います。いや、むしろ溺愛かもしれません。

元々彼は大変やさしく温厚でおおらかな性格で人に必要以上に吠えたり、ましてや絶対に噛んだりはしません。それと、ものすごくキレイ好きなのです。まるでネコのように手や足を舐めて、きれいにするのです。家ノ前に小さな庭があるのですが、めったに庭で遊ぶと言うことをしないのです。実は初めは不思議でした。たいていの犬は庭が好きです。そして、たとえ小さな庭でも土や芝生の上を走り回ったり穴を掘ったりしたがると思うのですが、彼はめったに庭には出ません。晴れて土が乾いたときに、ちょっとだけ日光浴をするために、出ることはあるのですが、ほとんど居間のソファーの上で寝ているかテレビをみて過ごしています。

何で庭に出ないんだろうかと思っていたら、だんだんそれが分かってきたのです。それは、足が汚れるからなのです。足の裏が汚れることをすごく嫌がるのです。

 

   なんと、犬らしくない犬でしょう。

 

それと、犬好きの家庭でよくあるアホな話しをもう一つ紹介しましょう。それは、まるで相手が人間であるかのように犬に話しかけることです。うちの家庭も例外に漏れずぺぺといつも対話をしています。朝、起きたら私も家内もいつもぺぺに言います。 

 

   「よう寝られたか?」

 

それと御飯前には必ず「ご飯にするか?」とぺぺに言います。ぺぺは、其の一言で「早くしてくれ!」と言わんばかりに、うるさくはしゃぎます。先に書いたように肥満防止にドッグフードの量を極力控えているため、あっという間に食べてしまいます。何時もお腹を減らしているみたいで、なんかかわそうな気がするのですが心を鬼にして量を制限しています。お出かけは、月に一回、美容院(ペットサロン)に行きますが帰ってきたら必ずたずねます。

 

   「今日は、どうやった?」  「疲れてへんか?」

 

そして、ペペは常にわれわれ2人の顔色を伺っています。何もなく、平穏で穏やかなときは、それなりにソファーの上で寝ていますが、二人が些細なことで口げんかをしたりしますと顔色を変えて飛んできます。そして、、

 

   「そのへんにしとけ!」と、言わんばかりに仲裁にはいります。

 

われわれも、ペペの顔を立てて言い争いをやめます。そんなぺぺは、いまやわれわれにとってなくてはならない存在なのです。ぺぺはまだ若いですが犬の平均寿命は短いです。小型犬は12〜15年ぐらいですから、それから考えると、われわれが先かぺぺが先か微妙な年齢です。とりあえず、ずっと健康で長生きしてくれることを祈っています。

 

   彼はほんとうに、えらいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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煩悩の末の決断
 五月十一日とうとう免許書を返納しました。散々迷った挙句、返納を決断しました。ココにいたるまでに、かくも人間は迷うものかと、つくづく実感しました.前回のブログで書いた続編なのですが誕生日の免許更新のハガキが来たら自動的に、最寄の警察に行って返納の手続きをしようと、ダイブ前から決心していたのですが、いざはがきが来て免許書を持って警察に行こうとすると決心したはずなのに、そこで又迷うのです。私は自分は何事によらず即断即決を旨とし、判断の早さには自信があったのですが今度こそは迷いました。今までに人生で、大きな決断をしなければならない時は何度もありました。たとえば、結婚するときや、マンションを建築するときなど、何の迷いもありませんでした。
 私の誕生日は4月19日です。それからほぼ毎日のように警察行きを先送りしました。

   「とりあえず、今日はやめとこ」

   「明日警察に行ったらええやろ」

 たとえ講習を受けて再交付してもらっても今の私の足の状態を考えたら運転なんて、とても難しい状況です。誰が考えても(私の状態を良く知っている回りの人)それは無理な話なのです。しかし、何故かこの期に及んで、まだ迷うのです。私の足が良くなる可能性はほとんどありません。この数年をみても、それは、分かります。それどころか、認めたくはありませんが、だんだん悪くなってます。

 いつもの私らしくなく、なぜこんなに迷うのでしょうか?

ひょっとして、足が治って普通に歩いたり走ったりすることが出来るようになるかも、、、とか、自動運転の車が思ったよりも速く開発され、もう人間の運転技術など必要のない時代が直ぐ来るかも、、、そして今ココで免許書を返してしまえばもう二度と車に乗れなくなるという恐怖心のような感情が襲ってきます。実際のところ、どうにもならないのに、誰が見ても結論は出ているのに、「ああ、どうしよう」と迷う日々を過ごしました。
 結局、心の奥底では免許書を返したくないのです。

しかし、いつまでもそんな事を言ってられません。2〜3週間も散々迷った挙句5月11日に断腸の思いで出頭した次第です。

 そして、すべて手続きを完了し警察を後にしたときは、なにか晴れ晴れとした気持ちと、ああもう二度と車の運転が出来ないのかという、とてつもない寂しさを感じました。

 なんとも言えないこの気持ち、皆様に分かってもらえるでしょうか?














































 
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免許書返納について
 もうかれこれ車を運転しなくなって、およそ一年半が過ぎます。以前ブログで書いたように2014年10月2日に交通事故を起こしました。事故そのものは、たいしたことはなかったのですが、そのことで私の自尊心が大きく傷つけられました。どちらかというと、私は車が好きなほうで、そのことが大変ショックでしたので、それ以来ずっと乗っていません。車を運転しないと決心するのに大変なエネルギーが必要でしたが、元来意地っ張りなので自業自得です。そこへ先日、免許書の更新の案内が来たのです。私の誕生日は四月ですので、とうとう来たかと思いました。なぜとうとうきたかと思ったかと言う訳があるからです。
 その一昨年の事故以来、ハンドルを握っておらず、今度更新の案内が来たら返納しようと思っていたからです。本当はとても寂しいのですが仕方ありません。ほぼ50年近くずーっと車に乗っていたので、なんとも言えません。

ブログで披露するのはちょっと恥ずかしいのですが免許書を取るきっかけになった話しをしたいと思います。あれは私が19歳の頃だったと思います。家の近所に、一歳年上の大変キレイな女性がおられたのです。私は高校生の頃から気にしておりましたが、いわゆる高嶺の花で近寄ることが出来ませんでした。道で出逢っても、チョット挨拶をするぐらいで話しかけることなど到底出来ませんでした。
あれは19歳の夏だったと思います。場所は寺町御池の市役所あたりです。なぜなら彼女の家が直ぐそこなのですから、当たり前で、あっ又今日も会えた、、、と思い軽く頭を下げたのです。すると彼女がニッコリ微笑んで近づいてくるではありませんか!心臓の鼓動が急激に高まり、わあどうしよう、落ち着いてと心に言い聞かせ「こんにちは」と初めて挨拶をしました。
「荒川さんでしょう。私は前から知っていました」と、彼女から話し掛けてきてくれたのです。もうどうして良いやら、私は上ってしまったのですが、こんなチャンスは二度とないと思い、嬉しさのあまり足がガクガクしていたのですが、冷静に、冷静にと言い聞かせながら「ああ、こんにちは。お話しするの、初めてですね」と、まるであまり関心がないような返事をしました。しかし、それが精いっぱいでした。
真夏の強い日差しの日で、市役所の前の木陰での出来事でした。それがきっかけで、お付き合いが始まりました。そしてしばらくて、彼女から「ドライブいかへん?」と誘われたのです。なんと、哀しいことにその時私はまだ免許を持ってませんでした。それなのに、彼女はもうすでに自分の車も持っていたのです。彼女は近所でも、お金持ちで有名なおうちの娘さんでした。その市役所前の劇的な出逢いからしばらくして、彼女は車で私の家へ迎えに来てくれたのです。それがはじめてのデートでした。その時、私は有頂天でしたが、免許書がありません。彼女と楽しいドライブをするために、どうしても免許をとらなくてはなりません。いつまでも、乗せて貰っている訳にはゆきません。そんなかっこ悪いできません。
   それが免許を取るきっかけでした。

一般的に、このごろの若い人は車ばなれの世代だと言われています。われわれの若い頃は、もう車が欲しくてたまりませんでした。とりあえず、車がなかったらカッコ付かないのです。それは生活の道具と言うよりもステータスなのです。しかも、憧れは燃費の悪いツーシーターのスポーツカーです。トヨタ2000GTやニッサンフェアレデイZなどは、憧れの的でした。
 無理は承知で親父によくせがんだものです。
    「あんな車ほしいなあ」、、答えは分かっています。決まって、、、
  
    「あほか!!そんなもんいらん。車は走ったらええんや。」と、、、

 それでも、その頃はカッコええ車が欲しくてたまりませんでした。今の若い人達の多くは、そおいう所有欲に乏しいように思われます。親父がよく言っていたように、車は経済的に効率よく走ったらよい道具なのです。カッコは二の次です。なんか、夢がないように思いませんか。

     それから、およそ50年。

いろんな想い出がいっぱいありますが、人生の大半を車と共に過ごしてきたと思います。まだ息子が小さい頃、毎日幼稚園へ送って会社に行きました。そして、その頃は月のうち二十日ぐらいは出張で車に乗ってあちこちに行っておりました。
 すべて、車なしでは考えられません。それがミトコンドリア病なる難病を患い運転することが大変危険な状態になってしまったのです。難病というのは治療の対処法が確立しておらず、月に1回、京都の西のほうにある宇多野病院へ通院しておりますが、回復のめどは全くありません。ただ、この病気ですぐ死ぬと言うことはなく、だんだん足の機能が衰え、いずれは車椅子の状態になるのですが、哀しいかな、このごろ悪化していることを感じ、断腸の思いで車の運転を断念した次第です。
 お陰で、家内や息子に迷惑をかけているのですが、いちいち「すまんな」と言い肩身の狭い思いをしております。そして、とうとうここにきて運転免許書を返納する決心をいたしました。
 気持ち的には「まだまだ、どうもあらへん」と思っていても、足が思うように動かず、万が一、大きな事故を起こすようなことがあってはなりません。

 まるで人生の終盤のような気分になりますが、車以外の楽しみを見つけ、考え方を変えなければなりません。

    本当は大変寂しく、大変不便です。


  追伸

免許取得のきっかけとなった彼女との出逢いの話は、当然 家内には言っております。なぜなら、その彼女と家内は知り合いで、家も目と鼻の先でもあり、学校も同じで先輩、後輩の関係でもあったのですから。
    彼女の名前は「えっちゃん」といいます。




























































 
| - | 14:29 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
昨年見た映画の報告
 200本は達成できませんでしたが、そこそこの数はこなしたつもりです。しかし、これぞという作品にはなかなか出会うことが出来ず残念です。そういう時は、いつも昔の名作を見直すのです。たとえば、「東京物語」とか「二十四の瞳」とかを、、、何回見ても心が洗われる思いがします。

   一月

「霧の旗」「17歳」「地と骨」「華の乱」「ゴッドファーザー」1,2,3、「首領になった男」「エヂット ピアフ」「眉山」「ハードパニッッシャー」「プリズナー」「ラストミッション」「渇き」「ザ ベイ」「ユニット7」「コンデイション」「マイブラザー哀しみの銃弾」「オールド ボーイ」「エヴァの告白」「ローンサバイバー」「超高速参勤交代」「チェンジリング」「隣人」「アナタを抱きしめる日まで」「11.6最強の現金強奪犯」

「ゴッドファーザー」三部作は毎年正月の恒例行事です。そして、いつも年末になると「今度は、何を見ようか」と悩みます。その時ふっと思いついたのが松本清張の「霧の旗」です。今風に表現するとリヴェンジアンドサスペンスです。
ある田舎娘が自分の弟の冤罪を晴らすために熊本(たしか?)から夜行列車に乗って、なけなしの僅かのお金を持って東京の一流の弁護士に依頼するためにやってくるのですが、もちろんあっさり断られます。そこからどんどんストーリーが展開し、その田舎娘が自分の身をなげうって、その高名な弁護士を誘惑し、ついには立場が逆転するという怖い話です。だんだん強くなっていく倍賞千恵子演じる娘と、だんだんだめになる弁護士が大変上手く描かれていて面白いです。

   二月

「ルーシー」「ヴィオレッタ」「永遠のゼロ」「バトルフロント」「マダムインニューヨーク」「トランセンデンス」「ザ ホスト」「アンダーザスキン」「M1 5」「パークランドケネデイ暗殺」「クリスチー」「フライトゲーム」「新しき世界」「ある貴婦人の過ち」「マレフィセント」

二月はいつもヒマなのに、あまり本数が延びませんでした。その中でも比較的面白かったのが「マダムインニューヨーク」です。婚礼の招待状をもらったインドの普通の家庭のおばさんが生まれて初めてニューヨークへ行くという話しです。英語が話せないので、とりあえず英会話教室へ行き英語を勉強することから始まるのですが、なんともいえず、心温まる秀作だと思いました。話の内容はなんともないことなのですが、何故かぐんぐん引き込まれていく感覚の映画でした。それは主人公であるインドのマダムが大変美しいのです。やっぱり美人は得ですね。

   三月

「ローンサバイバー」「テルマエ ロマエ2」「八月の家族たち」「複製された男」「ゲッタウエイ スーパースネイク」「サイドパーソン」「私の男」「猿の惑星 新世紀」「タイピスト」「友よサラバと言おう」「ザ ホスト」「サボタージュ」「私は生きていける」「殺人の疑惑」「明智光秀」

三月の中で一番良かったのは「タイピスト」です。内容は全く違いますが、ちょうど「シェルブールの雨傘」のような大変美しい
ヴィジュアルで表現した映画です。フランスの田舎の美しいタイピストが、いかに早く印字するかというコンテストで優勝し、その美人タイピストがフランスで一番となり、どんどん有名になって最後は全米ナンバーワンのタイピストと競い合い勝つという話です。ただそれだけの単純なストーリーなのですが、ものすごくファッショナブルでキレイなのです。タイピストなんて50年ぐらい前の話で今のパソコンの世界では通用する話ではないのですが、とりあえず美しい映画です。おすすめの1本です。

   四月

「エイリアン インフェクシオン」「ジャージーボーイズ」「デッドフォール」「グランドブダベストホテル」「蠢動」「アデル ブルーは熱い色」「ハンナ」「ヒドゥン フェイス」「つぐない」「360」「切腹」「二十四の瞳」「フルスロットル」「青天の霹靂」「デッドマンダウン」「ワイルドカード」「フューリー」「雨月物語」

「切腹」「二十四の瞳」「雨月物語」は、もう何回見たか分かりません。この私のブログでも何回も書きました。チョット趣は違いますが「ハンナ」もそうです。コレは決して名作ではないと思いますが私の大好きなシアーシャ ローナンが主役で、めちゃくちゃ可愛くてめちゃくちゃ強い、そのアンバランスが楽しいのです。
 ここで紹介したいのは「アデル ブルーは熱い色」です。チョット不思議な感覚のレズビアンの映画ですが、こんな可愛い女の子がなぜと思う一面と、女の子同士がひかれあい、どうにもならない切ない気持ちになっていく過程を二人の目の動きで表現していくという、なんともいえない恋愛映画です。おっさんが見る映画ではないのですが、、、

   五月

「舞妓はレデイ」「ドミノ」「ライディング ザ ブレッド」「スパイダー フォレスト」「スカーレット レター」「イコライザー」「喰い女」「故郷の香り」「ダイバージェント」「Xメン フューチャー アンド パスト」「ファーナス 訣別の朝」「ゴーンガール」「アイアンソルジャー」「ランナウエイ 逃亡者」「怪しい彼女」「石榴坂のあだ討ち」「96時間 レクイエム」「太秦ライムライト」

「舞妓はレデイ」が良かったです。さすが周防監督です。見ているお客さんが喜ぶツボを良く知っていて大変楽しい作品でした。東北から出てきた田舎娘が京都の祇園で修行に励み立派な舞妓になるという話をミュージカルにした映画でテンポもよく楽しく見られました。やっぱり冨士純子がよっかたです。
 それと「ゴーンガール」です。さすがデヴィット・フィンチャーです。あえて、あらすじは言いませんが一言で言うとべっぴんは怖いと言う話です。期待してダメだったのが「太秦ライムライト」でした。

   六月

「悪魔は誰だ」「十三人の刺客」「明日を夢見て」「ケープタウン」「旅人は夢を奏でる」「レッド ファミリー」「記憶探偵と鍵のかかった少女」「ワイルド カード」「神様の言うとおり」「マダムマロリーの魔法のスパイス」「誰よりも狙われた男」「ラスト エクソシスト」「パリ カウントダウン」「アルフィー」「サスペクト 哀しき容疑者」

なんといってもラッセ ハルストーレムの「マダム マロリーの魔法のスパイス」です。なんでもない話をぐんぐんと上手に見るものを引き込んでいくワザはやはり一流の監督の力量なのですね。主役のヘレン ミレンの演技が抜群です。見終えたときにほっとする、そしていつまでも記憶に残るいい映画です。
「神様の言うとおり」言いたくはないのですが、なんでこんな映画を作ったのでしょうか?私には全く理解できません。

   七月

「ザ バッグマン」「友よ静かに眠れ」「寄生獣」「スパイ レジェンド」「インターステラー」「フランキーとアリス」「泣く男」「コーヒーをめぐる冒険」「ザ レイド ゴクドウ」「ランボー 最後の戦い」「罪の手触り」「ブルースリー マイブラザー」「動乱」「エージェント コール」「操り人形」「オオカミは嘘をつく」「蜩の記」

「泣く男」も「悪魔は誰だ」もそうですが最近の韓国の映画はすごいですよ。もう、くどいぐらいに見せ場満載でエンターテインメントは十分です。全く違いますが、ちょうど昭和30年代の日本映画の全盛期のような活気を感じます。
悪く言えば、ハリウッド映画のパクリやフランスやイタリヤのラブロマンスのまねが多いように思われますが、しかしそれを韓国流にアレンジして新しい感覚に仕上がってると思います。ある意味、韓国流というものが出来上がっており、どの映画もユニークでしかも力強く面白いです。

   八月

「チャーリー モルデカイ」「ブラックハッカー」「監視者たち」「日本の一番長い日」「コードネーム プリンス」「ハイローナイトメアー」「リアリティーのダンス」「リスボンに誘われて」「ジャッジ」

八月はいつもヒマなのに、あまり見られませんでした。岡本喜八監督が、たしか七月になくなられたので彼の代表作である「日本の一番長い日」を見たくなり、盆休みの暑い昼間に部屋をチョット薄暗くして、エアコンを強めにかけて集中して観賞しました。2.26事件を描いた作品ですが、大変緊張感みなぎる作品です。もちろん白黒です。今のこの平和な日本の若い人達なら、日本であんなクーデターがあったなんて考えられないと思います。戦後、憲法9条のおかげで日本はずーっと平和ですが、その生ぬるい湯に浸かっているのでちょっと平和ボケしておりもう少し世界情勢を観察し緊張感を抱いたほうがいいと思いますが、私のこのブログで論ずる話題ではありませんね。ごく最近、役所広司主演でこのリメイクが封切られたようです。早くみたいですね。

   九月

「紙の月」「アメリカンスナイパー」「エクソダス」「プリデストネーション」「パラダイス愛」「パラダイス希望」「パラダイス神」「アルマナック」「シェッフ」「宮本武蔵」「パワーゲーム」「ブラックレイン」「インツウザウッヅ」「日本の悲劇」「デビルズノット」

なんと言っても「アメリカンスナイパー」でしょう。いつも私のブログで言ってますがクリントイーストウッドはすごいです。この映画の前の作品である「ジャージーボーイズ」もめちゃくちゃ良かったです。ところが、全く異なるタッチのこの「アメリカンスナイパー」は手に汗握る緊張感溢れる映画でした。クリントイーストウッドはあの歳でなぜココまでエネルギシュな作品を創れるのでしょうか。「ローハイド」の時代から知っているわれわれ世代は彼はヒーローです。もっともっと新しい作品を創って欲しいです。

   十月

「ザ ゲスト」「毛皮のヴィーナス」「メビウス」「おやすみなさいを言いたくて」「さまよう刃」「ポイントブラック」「ガン アンド ゴールド」「プロミスランド」「バードマン」「チング」「ドムヘミングエウエイ」「ブルージャスミン」「ママ」「フォーカス」「龍三と七人の子分たち」「セッション」「ランオールナイト」

このつきは、割と話題作に出会えました。マズ一つ目は「おやすみを言いたくて」イスラムの自爆テロと女性戦場カメラマンの話ですが、私は監督が言いたいだろうと思われることとは別にちょっと違う角度で見たのですが、同じ年頃の女の子が生まれた場所の違いでコレほどまでに運命が変わってしまうのかという恐ろしさに心傷むものを感じました。イスラムステートの宗教の力は怖いですね。それと「さまよう刃」も「ポイントブランク」も大変面白い韓国映画です。話題作は「バードマン」でしょう。最近、人気急上昇のアレハンドロ ゴンザレス イナリトウ監督の作品ですが、確かに緻密でよく出来た作品だと思いますが、いわゆる長回しでワンカットがながく、しかもハンデイカメラの場面が多く、また現実の話と自分の想像の話が入り混じりたいへん凝った難しい作品だと思いました。気楽に見られたのは、北野タケシの「龍三と七人の子分たち」です。北野たけしの自信過剰と悪ノリ場面が多いのですが、コメデイとしては、いいと思います。私の偏見と勝手な判断はいけませんが、ビートたけしの外国の評価があまり理解できません。それと私としては、やっぱり一番は「セッション」でしょうか。ニューヨークの音楽学校の生徒とめちゃめちゃ厳しい先生の話ですが、その教え方たるや、すざましく、ストーリーなんてほとんどありません。昔の「愛と青春の旅立ち」と何かチョット似たような映画でした。次に、なんと行っても私の好きなリーアム ニーソンのアクション映画で「ラン オール ナイト」でしょうか。リーアム ニーソンの出演する映画は多少内容が違うだけで、中年のおっさんがメチャメチャ強い話です。ちょうどの日本のやくざ映画の爽快感と似たものがあり楽しいです。

   十一月

「ツモロウランド」「インヒアレント ヴァイス」「ミッシング デイ」「リヴェンジ オブ ザ グリーン」「ギリシャに消えた嘘」「縫い裁つ人」「ブラック ダリア」「フォックス キャッチャー」「パーフェクト プラン」「東京物語」

「ギリシャに消えた嘘」はちょっと変わったストーリー展開で「太陽がいっぱい」に似たにおいがする映画でした。それと「フォックス キャッチャー」も面白かったです。アメリカの富豪が単に自分の趣味であるレスリングの競技を私物化し、それにどんどんのめりこんでいき、最後は自分の身を破滅させると言う話ですが役者の演技が際立つアメリカらしい映画でした。それと、また「東京物語」見てしまいました。自分でもアホと違うかと思いましたが、やはり名作だと思います。なぜ又見たいと思ったかと言うと、最近やたらと、外国人が「東京物語」を高く評価しているで、もういっぺん見直そうと思いました。日本人が「東京物語」をいいと思うのは分かるのですが、ヨーロッパやアメリカの人が戦後の日本の貧しくとも気品高くプライドを持って生きようとする日本人というものと、またその家族とのかかわりを高く評価しているのでしょう。

   十二月

「ファインド アウト」「チャーリーと六人の悪党たち」「ファミリーシークレット」「モンスター変身する美女」「パーフェクト メモリー」「イミテーション ゲーム」「ラスト リヴェンジ」「天才スピヴェット」「その怪物」「最後まで行く」「うなぎの男」「ブラック ハット」「カイト」

「その怪物」「うなぎの男」「最後まで行く」とたてつずけに三本韓国映画を見ました。どれもそれなりに面白いのですが「最後まで行く」が一番面白かったです。黒澤明がよく言っていた、鰻どんぶりにステーキをのせカレーをかけたような、これでもか、これでもかと言う見せ場満載のてんこ盛りの映画でした。とりあえず面白いです。ちょっと軽率な刑事が夜勤あけに自分のお母さんがなくなった連絡が入り、あわてて葬儀場へ急行するのですが、雨が強く降っていて見通しが悪いのと疲れているのとで、人を轢いてしまうのです。 「うあー どうしょう!」自分が刑事であるということで、とっさの判断でその死体をトランクに載せて、とりあえず母親の葬儀会場に行くのです。そして、あろうことか、その死体を母親の棺おけの中へ入れるのです。あくる日に土葬されれば、それで終わり、と判断したのでしょう。さあ、そこから話が始まります。ぜひ一度見てください。最後まで面白いですよ。
 いつも思うのですが、映画って不思議やなあと思います。それはハリウッドの映画のようにSFXを駆使して、ほんの数分のカットに何十億円もかけて観客をびっくりさせ観た事のない映像に引き込んでいくのですが、結果的には、あまり心に残らず、ただ見せ場だけに終わるような作品が多いように思います。ところが、成瀬や小津のように脚本を練りに練って別にさほど予算をかけず、じっくり創り上げた映画がかえってずっといつまでも心に残ると言うことが多いと思います。決してかけた金額ではないのです。私にとってその一番いい例が「二十四の瞳」の満開の桜の下での電車ごっこのシーンです。私は何回も観てますが白黒なのにカラーに見えるのです。桜の花がものすごくきれいなのです。きっと目でだけでなく心でもその場面を見ているのでしょうね。もうそのシーンが素晴らしく涙なしでは見られません。だれかのセリフのまねですが、、

        「映画って本当に素晴らしいですね!」





















 






















   




























































































































   






















 
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不良老人の勧め
 長いこと、サボってしまって誠に申し訳ありませんでした。さほど忙しいわけでもなく、又何か特別に変わった事があった訳でもなかったのですが、「まあ、いつでも書けるわ」という安易な気持ちが結果的に半年ほどほったらかしになってしまい言い訳の仕様もございません。

   やっぱり、これも老化でしょうか?

 そこで今回は老化予防について考えてみたいと思います。
仕事以外で、心安い友人とよくおしゃべりするのですが、飽きもせずにいつも同じような話ばかりして楽しんでいます。大概、みんな小学校や中学校からの、お付き合いで、お互い気心も良く通じ合い、第三者が横で聞けばまったく意味不明な会話の内容で、いつ、どこで、だれがといった肝心のことが抜けており「あんな、このまえな、あいつが、、、」から始まり、一体いつの話なのか、サッパリ分かりませんが長い付き合いがゆえに、すべてそれで会話が進むのです。しかしそれは、どう考えても老人の会話で、それはそれで楽しいのですが、少しでも脳を活性化し、老化しないように努めねばならないと思っています。

 一般的に、おじん扱いされないように、よく言われる注意点は、、

   1.昔話をしない

   1.自慢話をしない

   1.説教をしない

   1.同じ事を何回も言わない

   1.同じ事を何回も聞かない

そこで、私はちょっとひにくれた老後の心のあり方と行動の規範を提案したいと思います。きっと我々、団塊の世代はまじめに、一生懸命働いてきたと思います。そこで、70歳近くになって仕事も一段落し、きっと家庭も円満であろうと思いますが、何かちょっと物足りない空虚な段階に入ってきたと思うのです。心が満たされないまま、ますます老化するような気がします。
 そこで提案ですが若いころよく怒られた「不良」にもう一度挑戦してみてはどうでしょうか。今まで、大変まじめにやってきたので、これからは、ちょっと「ふまじめ」でいきましょう。カッコよく言えば「レオン」のチョイ悪おやじになるのです。
具体的に言うと「のむ」「うつ」「かう」に積極的に力を入れるのです。
ただ、この歳になって人に迷惑をかけたり恥ずかしいことをしてはいけません。もちろん、常識の範囲内の行動で脳に刺激を与えるのです。ちょうどAEDで心臓に刺激を与え甦らせるように、脳にもAEDのような刺激を与えるのです。
つまり、その刺激とは「さけ」「かけごと」「おんな」です。なぜそんなアホな事を思ったかというと、若いときなら組み立てられた合理的な思考回路が自分では意識していても不思議とそれが、あやふやになってきて何がなんだか訳のわからない話になってしまうのです。別に問題ないと内心言い聞かせているのですが、それは自分自身の脳の老化を自覚するのがきっと怖いから、あえて正常をよそおおっているのかもしれません。きっとみんなは、自分の脳の老化を認めたくないのです。若いころなら将来を語る夢がありますが我々には残された時間は少ないです。ですから話す内容も過去のことばかりなのです。
 その衰えかけた脳を活性化させるAEDは「ふまじめな老人」になることです。

   のむ 

残念ながら私はまったくアルコールがだめでこのことに関して論ずる資格がありません。しかし、いつも思うのですが、ちょっとご馳走の時に「ああ、こんなとき日本酒やワインが飲めたらもっと幸せな気持ちになれるのだろうなあ」と思います。

   うつ

いわゆる賭け事です。パチンコ、マージャン、競馬、競艇、なんでも賭け事は面白いじゃありませんか。若いころから私はマージャンが好きです。しかし哀しいかな、このごろはスマホでマージャンです。ところがスマホでは勝っても負けてもなにも面白いことはありません。やっぱりマージャンは4人でわいわい言いながらするのが楽しいです。負けがこんで追い詰められたときに、ここ一番というときの、あのアドレナリンが全開するような興奮は堪らない刺激があります。きっと其の時の興奮状態は脳を活性化させると思います。手に汗握る一発逆転の勝負はなんともいえない心の高まりと快感を感じるものです。

   かう

買うといっても、いわゆる昔のように遊郭へ行くという意味ではなく、ちょっと解釈を広げて恋愛感情を抱くという意味です。つまり恋をするのです。又、何度も言いますが「ええ歳してエロじじい」と思われるような行動は絶対に許されません。あくまでも紳士でなくてはなりません。男にとって女性にもてたいという気持ちは、いくつになっても変わらないと思うのです。そして、ちょっとでも、もてようと思うのならオシャレでなくてはなりません。オシャレといっても、いやらしい下品なかっこうではありません。あくまでも清潔で気品高く上品でなければなりません。それは高貴なみだしなみです。
又格好ばかりつけても女性には、もてないと思います。ファションや今流行りのこと、いろんなことを勉強し教養を身につけなくてはなりません。そして、それは浮気をせよと言っているのではありません。あくまでも「心のありよう」です。
 初恋のときに抱いたような恋心をもういっぺん思い出してはいかがですか?いわゆる清らかな「老いらくの恋」です。あくまでも、自分の心の中だけで遊ぶのです。その時のワクワク感は年老いた我々の脳に思いっきり刺激を与え、めざましく活性化するのではないでしょうか。それは、片思いでいいのです。そして、もし幸運にも、そういう初々しい恋心が抱ける相手に出会えたら、自分の心の中だけで密かに思い続けるのです。勇気があったら、お話したり、お茶したり多少のアプローチはオーケーです。

   それぐらいは、いいじゃないですか。イタリア人の気持ちになりましょう。

あのじれったいような、もどかしい初恋の気持ちを、もう一度チャレンジしてみてはどうですか。そして、その密かな思いを誰にも一切言わず墓場まで持っていけばいいのです。
 ただし、なかなか相手を探すのは難しいと思います。だれも「おじん」の相手をしてくれませんから。そのためにも、若い、美人に、こちらに振り向いていただくためには、相当の努力と忍耐が必要です。その努力と忍耐が間違いなく老化しかけた我々の脳を活性化させるはずです。さあがんばって「なんぱ」しましょう。

   一生懸命書いたつもりですが、なんか、しょうもない話になってしまいました。

追伸  今年の正月も「ゴッドファーザー」1,2,3、を通しで見ました。一日がかりです。
    何回見ても面白いですね。




















































































































 
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妙に意地をはる
 あれから、およそ半年が過ぎたので何もかも白状します。実は、昨年の10月二日に交通事故を起こしてしまいました。自慢ではないのですが私はゴールド免許です。この10年以上、無事故無違反です。免許の切り替えの時も、あの辛気臭くて、いやな講習も受けておりません。回りのみんなは私に運転を「へたくそ」と言いますが私には自信があり、いつも安全運転を心がけていました。
と言っても私が抱えているミトコンドリア病という難病のお陰で、この数年は、ほとんど自分が運転して京都を出たという記憶はありません。又昔のことを言うと、怒られますが、九州も四国もひとりで車で出張に行っておりました。何とか効率を高めようと朝早く出発し、1日、何軒もお得意先を回って、がんばりました。
 しかし、今は車の運転は毎日に通勤だけです。たまにお寺へお墓参りに行くぐらいで遠くへドライブなんて考えられません。過去に、スピード違反、駐車違反かささいな交通事故の経験はありますが、およそ50年何とか無事にやってきましたのに、この歳になって交通事故なんて、私にとって耐えられない出来事でした。

 いつものように会社を出て河原町を北上し北山通りに面したときのことです。信号が赤で私が停車しているときに自転車が斜めからさーっと横切ったかと思うと私の車のバンパーに当たりひっくり返ったのです。そして、転倒し私の車の前でうずくまっているじゃないですか、、、、、まるで私がその人を轢いたかのように、、、、
 まだ夕方の七時前で人通りも多く、いっぺんに数人の人が寄ってきました。直ぐに、人だかりになりました。

   何もしていないのに、私はもう犯罪者扱いです。

私の車に当たってきて、こけた女性は足と手に怪我をし少々出血しているじゃありませんか!!慌てて救急車を呼び同時に警察に連絡をとり、その場で現場検証をしてもらいました。そして、その方も、びっくりしたのでしょう。その女性はケガをして泣いておられたので、私も動揺しましたが、直ぐに救急車が来てくれて、結果、大事には至らなかったのです。

 赤信号で停車している私の車に自転車が当たってきて、それで倒れて怪我をしたのに私が加害者になってしまったのです。
どう考えても納得いきませんが仕方ありません。その女性のケガもたいした事はなく、すべて保険で処理が済み、私の車も、バンパーにチョット傷が付いた程度で、それも直ぐに修理しました。
現場検証をしてくれた警察官も私が決して、言い逃れをしているのではない事を分かってくれて、罰金もなく免停にもなりませんでしたが、毎日毎日、何十年も通いなれた道で、こんな事故が起こった不運が、悔しくて、悔しくてたまりませんでした。

 私の車に当たってきた女性を責めても仕方ありません。以前から、心の中で、若いときのような動きがとれない老化を感じており、残念ながら、人にも言えず、ちょうどこれがいいきっかけかと思いました。

   いわゆる「しおどき」です。

しかし、なかなか納得ゆきませんが、その出来事が悔しくて悔しくて、それ以来私は車の運転をしていません。もう、およそ8ヶ月になります。かわいくてたまらなかった愛車もすぐに売ってしまいました。

「ええ歳して交通事故なんて!」とか「足が悪いのに車の運転なんかするさかいや!」とか「注意がたらん!」とか「老化や」とか、、そんな事を人に言われるのが耐えられないので、言われる前に車に乗らないと決めたのです。自分でも良く分かっていますが私は意地っ張りです。
 ところが、車に乗ることを止めてから、いろんな問題が発生しています。
マズ第一に通勤手段です。ご存知のように私は、大変歩行困難なため、電車やバスには乗れません。また、タクシーで通勤する身分でもありません。そんな時、頼れるのは家内しかありません。

   「すまんけど、これから送り迎えしてくれへんか?」

   「もうー、かなんなー。そんなこと毎日はできひん。しゃーないさかい、送り迎えはするけど、私が、あかんときは、息子に
    言うかタクシーにしてや!」   という返事でした。

一応、協力的な回答には感謝しておりますが肩身の狭い思いです。幸い、次男の家が、直ぐ近くなので通勤に関しては今のところほとんど支障はありません。ところが、先日ある問題が発生したのです。もっとも、以前から分かっていたことなのですが、あやちゃん(家内の妹の娘)がハワイで結婚式をするので家族全員招待を受けたのです。大変めでたいことなので即、快諾し私以外全員(七名)五日間ハワイへ行ってしまったのです。
 当初から私は迷惑をかけるからとハワイ行きは断念し、お陰で五日間ペペと二人で留守番です。歩けないのですから外には出られません。土日をはさんでの五日間ですので、会社にはわがままを言って五連休にしてもらいました。なにせ、不便極まりない岩倉です。車がないと外へは出られません。家内の車はあるのですが、意地を張って車に乗らないと決めた以上、乗るわけには、ゆきません。誰も見ているわけでもないのですから、家内の車でそっと外出したって別に問題ないのですが、自分でもう乗らないと決めた以上そういう訳には、ゆきません。お陰で五日間、家にこもりっきりでした。好きな映画は、しっかり見られましたが、私の、この頑固さの為、ふじゅう極まりない連休を過ごした次第です。免停でもないのに私の妙な意地っ張りの性格で五日間も無駄な時間を過ごしてしまいました。

 ただでさえ、だんだん歳をとっていくのですから、もうちょっと柔軟な考え方をしないとアカンと私自身よく理解しているのですが、そう簡単に性格は変えられません。

 しかし、このごろ、あまりにも不便なので、いつまでも意地を張ってないで又車に乗ろうかなあと思っておりますが、人には言っておりません。

      やっぱり、意地っ張りですね!!






































































 
| - | 16:51 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
また映画の話です
 さて今回は何を書こうか。先日から思案しておりましたが、なかなかコレと言ったテーマがでてきません。そこで、書くことが思い浮かばないネタ切れの時は、やっぱり映画の評論しかありません。昨年1年間はまったく心に響く作品がありませんでした。月別に順を追って列記しますが、今こうして、改めて振り返っても、やっぱりコレと言った作品に出会えなかったです。

   一月

「ゴッドファーザー」1,2,3「地獄の黙示録」「マリアの胃袋」「ラストエンペラー」「鬼畜」「ラストキャッスル」「あのコを探して」「花いちもんめ」「キラースナイパー」「「許されざる者」「ポセッシヨン」「抱擁のかけら」「ラストシャンハイ」「アンチバイラル」「トスカーナの休日」「最後の初恋」

毎年正月の三が日は集中して映画を見ます。しかも一番に見るのがゴッドファーザー1,2,3です。アホやと言われていますがもう何回も見ています。三本続けてみようと思うとストーリーよりも、その時代背景や、コスチュームや音響効果が気になります。そして、1日仕事です。1,2,3のうちどれが一番よいかという比較は人によって異なると思いますが、私は初めパート2がいいと思っていました。しかし、最近は、やっぱりパート1が一番いいですね。
パート2でゴッドファーザーが子供の頃、イタリアから自由の大地アメリカに移民してきて、そこからドンドン頭角を現していく姿がなんともいえないですね。貧しいとき、じゃがいも一個を親子三人で夕食として食べるシーンがいいです。あの役はロバートデニーロ以外には考えられません。1,2,3で何度も出てくる結婚式と葬式のシーンたまりません。

   二月

「危険なメソッド」「ベルリンファイル」「マンオブスチィール」「ハンテッド」「クリニクル」「ホワイトハウスダウン」
「桜姫」「コレクター」「コンプライアンス」「ペインレス」「戦場のメリークリスマス」「ロストボデー」「乙女の汚れた裸」(アダルトと違います)「欲望のバージニア」

大島渚監督のことをテレビでやっていたので気になって「戦場のメリークリスマス」を見直しましたが、始めてみたときほどよいとは思いませんでした。それは、二回目で新鮮にかけたということ以上に、まだあの頃のビートたけしは若く魅力があったのかもしれません。彼は出世しすぎたと思います。タダ、テーマ曲はいいですね。

   三月

「12ラウンドリローデット」「ザ エンド」「スパイコード」「ペリカン文書」「少年H」「オッドトーマス」「バウンティキラー」「ハンテッド」「アプリ」「サイドエフェクト」「サベジーズ」

「少年H」のことは、以前にブログで書きました。三月はさほど忙しくもない月でしたが見た本数は少ないです。その中で、一番よかったと思われるのがソダバーグの「サイドエフェクト」です。未承認の新薬発売にあたって副作用を隠して販売すると言う話ですがもうちょっとスリリングなタッチが欲しかったです。

   四月

「ビューティフルクリーチャー」「ジンジャーの朝」「真夏の方程式」「終戦のエンペラー」「ステイラーズ」「ウエアー」
「ミッドナイトガイズ」「最愛の大地」「エンドオブウオッチ」「コンテイキ」「47ローニン」「地獄でなぜ悪い」「リベンジャー」「ペイルライダー」「舟を編む」

彼の大概の作品は見ていますがクリントイーストウッドはすごいです。84歳になって、まだまだ意欲的に作品を作り続けている熱意には感動します。しかも、どの作品も力強く若いです。話によると又新しい若い女ができたとか、、、昨年話題の「アメリカンスナイパー」早くみたいです。そこで、昔の西部劇が久しぶりに見たくなり「ペイルライダー」を見ました。以前にも見てますが典型的な西部劇スタイルです。あるとき、ふっと現われて、悪いやつらを退治して、又ふっと去っていく。なんと、かっこいいのでしょうか。日本の任侠映画とパターンは同じです。

   五月

「グランドイリュウジョン」「72時間」「ザコール」「フローズングラウンド」「バレットオブラブ」「ホワイトタイガー」「天使の処刑人」「パイオニア」「オーガストウォーズ」「ロードオブセイラム」「マッキー」「デアトロフィンシデント」「そして父になる」「ゼログラビティー」

「ゼログラビティー」ですかね。見ていてしんどくなります。無重力状態で宇宙の空間に、ほうり出されるなん考えただけでも、しんどいです。最後に地球に到着し海中から浜辺へ這い上がってくるサンドラブロックがものすごくセクシーでかっこよかったです。

   六月

「凶悪」「ザ・アイスマン」「キャプテンフィリップ」「ツーガンズ」「ヒッチコック」「座頭市」「スリーハンドレッド」「ミッシングポイント」「ロストコード」「運命の36時間」「サイコメトリー」「偽りの人生」「ペーパーボーイ」「ワールドウォーZ」

私は勝新が好きです。「悪名」も「兵隊やくざ」もたいへん面白いです。そしてあの「座頭市」の全身である「不知火検校」は衝撃的でした。二枚目俳優から脱皮して悪役のあんまなんて、恐らく役者人生にとって、たいへんリスクがあったと思います。が、あえてそれに挑戦し、みごと当たったのです。もちろん「座頭市」は全作品見てますが、なぜか第1作目の「座頭市」が見たくなり、じっくり腰をすえて見ました。まだ白黒ですが、それが実にいいんです。
 ビートたけしや、かとりしんごや、綾瀬はるかがなんで座頭市のまねをしたがるのでしょうか?私には分かりません。

   七月

「ダブル」「共食い」「人類資金」「ザ・シューター」「ルビースパークス」「マラビータ」「イップマン最終章」「イノセントガーデン」「ビザンチウム」「ある会社員」「ウルバリン サムライ」「ゲノムハザード」「トリック」「パッション」

実はコレを見るまで、ものすごく期待していました。最近は本業の監督よりもプロデューサーのほうに力を入れておられるリュックベッソンがデニーロと組んで撮った「マラヴィータ」と聞いただけでワクワクするじゃありませんか。正直、期待はずれでした。
まだ、「ビザンチウム」のほうが良かったです。なぜなら、あのめちゃめちゃ可愛らしいシアーシャローナンが吸血鬼の役の映画だから、、、シアーシャローナンなら血を吸われてもいいと、たいていの男なら思うでしょう。最近「わたしは生きていける」を見ました。

   八月

「オーバードライブ」「悪いやつら」「八日目の蝉」「エージェントライアン」「キリングゲーム」「嘆きのピエタ」「グリフィン家のウエディング」「清洲会議」「ハンナアーレン」「ウルフオブウウォールストリート」

八月は暇な月なのに、何故か本数が少なかったです。盆休み、一体何をしていたのでしょうか?面白かったのはキムギドクの「嘆きのピエタ」です。それとスコセッシの「ウルフオブウウォールストリート」かな?スコセッシもかなり高齢なのに、なんとタッチが若くストーリーの展開が速いです。

   九月

「ブリングリング」「星の旅人たち」「ルブタン」「大脱出」「大統領の執事の涙」「小さいおうち」「猫侍」「もらとりあむ たま子」「武士の献立」「鑑定士と顔のない依頼人」「リベンジマッチ」

なんといっても「鑑定士と顔のない依頼人」です。私の好きなジュゼッペトルナトーレです。「ニューシネマパラダイス」や「題名のない子守唄」で有名なイタリアの監督です。話の展開が大変上手く、どんどん引き込まれていきます。そして、最後にあっと言うドンデン返しの結末があり楽しいです。結論的には男は年をとっても、やっぱり若くて美しい女には弱いのですね。

   十月

「デンジャラスバディ」「ファイティングタイガー」「悪の法則」「ライフ」「ガーディアン」「バイロケーション」「さよならアドルフ」「ハンガー」「オンリーゴッド」「トカレフ」「コロンビアーナ」「ハミングバード」「それでも夜は明ける」「クローズドサーキット」「エリジュウム」「利休にたずねよ」「レッドリターンズ」

「それでも夜は明ける」は昨年アカデミーをとった力作です。しかも同姓同名のスティーブマックウィーンという名の黒人監督です。話はたいへん重いです。やっぱり私は「コロンビアーナ」が好きです。コレで4回目です。「そんなこと、あるはずないやろ!」と思われることがどんどん進んでヒロインには弾が一発も当たらずものすごく細いのに、めちゃめちゃ強い、あの黒人女性ゾーイサルダナのチャーミングなこと。やっぱり映画の醍醐味ですね。ありえない話の中に引き込まれていく魔力がそこにあります。
オリビエメガトン万歳です。

   11月

「ロボコップ」「ライフ」「キャリー」「アメイジングスパイダーマン2」「オールユーニードイズキル」

「キャリー」のリメイク。あのブライアンデパルマの「キャリー」のリメイクだからと、あまり期待していませんでしたが、私としては良かったです。デパルマの「キャリー」を、はじめてみたときの衝撃は今でも忘れられません。もう、初めから最後までめちゃめちゃ怖かったです。それと、最後の最後に、お墓から手が出てくるなんて、、、
いつもの参考書で調べたら1976年の映画なんですね。今から40年ほど前の映画なんて思えません。

   12月

「ラブランチ」「ドラゴンコップス」「霧の旗」「17歳」「血と骨」「エディットピアフ」「眉山」「プリズナー」「ラストミッション」「渇き」「ザ ベイ」「ユニット7」「コンディジョン」「マイブラザー」「オールドボーイ」「エヴァの告白」「ローンサバイバー」「超高速参勤交代」「チェンジリング」「隣人」「アナタを抱きしめる日まで」「最強の現金強奪犯」

10月、11月は身内の不幸で本数が少なかったので12月はがんばりました。「エディットピアフ」は三回目です。マリオン コティアールの演技が素晴らしいです。そのマリオンの主役の「エヴァの告白」良かったです。チョット重苦しいですが、最後に自分の妹を救うシーンでちょっと安心しました。ずーっと暗く思い話が続いて最後の最後でホットさせる演出が巧みです。

と言うわけで昨年は目標の200本は達成できませんでした。それと、見終わった後、ああもう一度みたいと思う作品も少ないでした。しかし、映画は楽しいです。最近は本もがんばってますよ!































































 
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老後の諸問題
 おおきなタイトルを掲げましたが、そんな難しい事を書こうとは思っていません。年をとってから日常のありふれた生活におこる、ほんのちょっとした小さな出来事を書きたいと思います。
ツイ、この前還暦やと思っていたら、もう今年で68歳になります。本当は認めたくはないのですが、毎日の生活で「老い」というものを感じます。又、私が抱えている、おそらく将来死ぬまで付き合っていかなくてはならない「ミトコンドリア病」と言う厄介な病気については又いずれ詳しく説明しますが、今回は病気とまではいかず、又大きなトラブルでもない、若いときにはそんな事をあまり気にしたことがないのに年になってから発生してくる諸問題について考えてみたいと思います。

当たり前のこととは思いますが、60歳を過ぎるとどうしても年寄り扱いされます。昔と比べたら見た目はきっと若く感じるはずですが若い人から仲間はずれにされ、まるで「じゃまもの」扱いです。われわれ側、年寄りサイドからすると知識も経験も豊富で「お前ら若いもんに負けるもんか!」と思っていても若い人サイドからすると「時代遅れや!」という見方になるのでしょうね。
服装や見た目だけでなく、確かにあらゆるものに関し今の最先端からはちょっと、ずれているかもしれません。

   もっとも、それは今も昔も同じですが、、、

幸い私には定年がありません。死ぬまで苦労が耐えませんが、60歳定年というのは問題なのかもしれませんね。今、65歳定年を政府は強く推し進めていますがなかなか末端まで浸透するところまでは行ってないようです。

前置きはその辺にして、話を元に戻しましょう。私が最近、特に気になることを恥ずかしながら書こうと思います。

 まずトイレの問題です。特に「小」のほうが以前に比べると、大変回数がふえました。チョット気になるので昨年、いつものかかりつけの先生に診察していただいたら異常ありませんでした。しかし、直ぐいきたくなり、大変近いです。そして、勢いがなく切れが悪いです。友人の話によると夜中に2回も3回もトイレに起きると言ってましたが、寒い冬の夜などさぞ辛いだろうと察します。幸い私は夜中にトイレに行くことはなく助かります。
 家内と休みの日などに、どこかへ行く前に必ず「ちょっと待ってくれ!トイレに行ってくるわ。」と出発前にトイレにいきます。そのとき決まって「早よしてや」と言われます。そして、さほど遠くない目的地に到着したときに、すぐもうトイレに行きたくなり「ちょっと念のために先にトイレに行くわ!」と言うと必ず「もー」という返事が返ってきます。
家にいても外へ出ても何か一日中そんなやり取りをしているような気がしてなりません。

 又、目や耳も同じようなことがいえます。本や新聞を読んでいても何かチラつくのです。私は学生時代から軽い近視で度数の低いめがねをしており老眼鏡の心配はありません。しかし集中して読んでいても字が踊るのです。毎朝、新聞を読むのが楽しみですが15分も読んでいたら目がチカチカします。コレも、決して病気とまでは、往かないものなのでしょうが、やっぱり年齢からくる衰えなのでしょうね。それと、朝コーヒーを飲みながら新聞を読むことが、すでに年寄りの仕事かもしれませんね。若い人ならパソコンやスマホでニュースを見ているようです。新聞の発行部数が年々減少しているのも理解できます。いずれ新聞は年寄りのためのものになってしまいそうです。

 すみません。又話がそれてしまいました。

目の衰えでモウ一つ気になる事があります。コレもまた病気とまでは、いかないのでしょうが目の中で蚊が飛ぶのです。最近は大分なれましたが気になりだしたら仕方ないほど気持ち悪いものです。私の場合いは右目だけですが、2匹の蚊が目の中にいます。時にはそれを追い払うため、無意識に手を動かしたり首を振ったりする姿を見て「あんた何してんのん」と家内に言われふっと我に返ります。ああ、こういう会話が、すでに年寄りの会話なのかと、しみじみ思います。

そして次は耳(聴力)です。今のところ私の耳は大丈夫ですが家内は以前と比べたら、だいぶ耳が遠くなっています。いつも朝から、ゆうた、いわんの小競り合いです。

   「あんな、この前あの人がゆうてた話、ゆうといてくれたか?」  第三者にとってまったく意味不明の会話ですが、長年連れ添うた家内と私の間の暗号みたいなもので、たぶんこの話だろうと推測し進展します。

   「ああ、あれか?まだゆうてへん」  と少々恐縮ぎみの小声でいうと「へえ、なんやて!」と返されます。
再度、ちょっと大きい声で「あんな、あの話はまだしてへん」と言うと、大きい声で「はよゆうといてんか!」と、、、

   耳が悪くなると声が大きくなるのですね。

いつ、どこで、だれが、なにをといった肝心のことが欠けた会話が日常茶飯事で、しかもそれでいて難聴で同じ事を何回も繰り返し、、、ああ、まさしくコレが年寄り夫婦の会話だなあと思い、ふと寂しさを感じます。

ところが、その反面、聞こえない様に「イチイチ、うるさいなあ」と小さな声で言うと、そういうときだけ良く聞こえるのです。

   「なんやて! ウチが前から気にしてゆうてんのに!」  そこからまた小競り合いが始まります。

体の不具合のことを、イチイチ探すと、きりありませんが、もうひとつ気になって仕方ないことがあります。おそらく、コレも病気ではないと思うのですが、多くは冬の夜の風呂上りの後などに発生する現象です。それは湿疹とまではいかないのですが、そこらじゅうが痒くてたまらなくなります。風呂から出て、体が温まると発生します。主に、背中やわき腹や内股が痒くてたまりません。手が届く範囲なら、さほど問題ないのですが背中が痒いときは大変です。そういうときには、非常に便利な秘密兵器が昔から存在するのです。

   「孫の手」です。

その孫の手で気持ち良さそうに背中をかいていると又家内の「罵声」がとんできます。

   「もーおじんくさいなあ!」と、、、

孫の手で、背中をかくことはやっぱり年寄りのすることなのですね。

そして、また日常的に薬のことが気になります。いわゆるサプリメントも含め朝、昼、晩と薬に追い回されます。そして、その薬といっても「毒にも薬にも」ならない様なものが多いと思うのですが、チョット飲み忘れたときなど何か取り返しの付かないことをしたような気になる程、日常の習慣の中に入り込んでしまっているのです。若い頃、薬なんか、よっぽど腹を壊したとか頭痛がひどいときとか風邪を引いてどうにもならないとき以外、飲むことがなかったものを、年をとると生活必需品のように日常生活の中に侵食してきます。たとえは悪いのですが覚せい剤でもないのに、まるでソレが切れたら、もうどうしようもない「焦燥感」すら感じるほど大切なものになってきます。私も先生から処方されている薬を規則正しく飲んでいます。毎回食後になったら「ああ薬の時間や!」と習慣になってしまいました。まさに、年寄りの仲間入りです。
 トイレが近く、目が悪く耳が遠い、、、いやになりますね。

 話しはチョット元に戻りますが、頻繁に発生する高齢者の夫婦の間の「いざこざ」は何が原因で起こりやすくなるのでしょうか?目や耳だけの問題ではなく、きっとそれは関西弁でいう「いらち」が原因しているのではないかと思います。
本来なら年を重ね、角が取れて人間が丸くなって、穏やかになり気が長くなるはずなのに何故か年を取るとみんな、せっかちで気が短くなり、すぐ怒ります。誠に恥ずかしい話ですが、われわれ夫婦も40年になりますが「こぜりあい」が絶えません。ことの発端を冷静に分析すると、とるに足らぬことばかりなのですが、言い争っているうちにだんだんヒートアップして、大きな「内戦」にまで発展していってしまうのです。お互いに、チョット気を使えばいいのですが熱くなると両者ともなかなか引くに引けないのですね。

話はさらに長くなりますが「加齢臭」もわれわれ高齢者にとって、嫌な問題のひとつです。私は仕事柄、人に接することが多いので不愉快な思いをさせてはいけないと以前からフレグランスには気を使っております。あまりにも、これ見よがしとばかりに匂いの強いものを使うのは逆にいやらしく感じるので、すれ違ったときにフットなにげなく香る気品のあるものがいいと思います。今大変気に入っているのがサンタマリアノヴェッラの「ノスタルジア」です。チョット高いなあと思いますが朝出かけに、コレを使うと気持ちが高揚し「さあ今日もがんばろう」という、爽やかな気分になるので大変気に入ってます。

何か訳の分からないことをダラダラ書きましたが年をとると若い頃にはない、しょうむない事が色々発生するものです。もちろん見た目は十分「おじん」です。しかし心だけは若くいようと努めております。いつも子供のように何を見てもびっくりしたり感動したりする、シンプルでピュアな心をいつまでも抱いていたいです。長年生きていて何を見ても感動しませんが、どこかに、かすかに残っていると思われる子供のような心をいつまでも持ち続けたくおもっております。

 残された時間を有意義に楽しく過ごしたいものです。なかなか、そうは行きませんが、、、





























































   



































 
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禁煙について
 私は今から、およそ三十年前にタバコをやめました。その理由は、健康のためは当然のことながら二男のコウタが生まれる前のことでした。長男が生まれたころはまだ吸っており「もうやめなあかん」と思いながら、正直なかなかやめられませんでした。
そして、その頃何回も禁煙にトライしては失敗したのです。

   およそ三十五年ほど前のことです。

たとえば正月とか、誕生日とか、結婚記念日などなにかちょっとした節目を設定し禁煙を始めるのですが続きません。さあ、今度こそと思い決行するのですが、数日すると吸いたくなるのです。禁煙を始めて、ちょっとして、夢の中でたばこを吸い「ああ、また吸ってしまった!」とたいへん目覚めの悪い思いを何回もしました。
 そもそも、いつごろからたばこを吸い始めたかというと、私は割とまじめで、大学三年の頃だったと思います。その頃は、禁煙するという考えの人はほとんどなく男の人は大半喫煙者でした。むしろ、吸わない人は病的な潔癖症か変人でした。大人になったら、たばこを吸うのが当たり前という社会的風潮があったと思います。
 生徒に指導しなくてはいけない学校の先生もたばこを吸っていて、反抗的な生徒なら「お前が吸っているのに、何でわしがすったらアカンのや!」と抵抗していたことでしょう。それだけではありません。「タバコは体に悪いですよ!」と言っているお医者さんだって吸っていたのですから、今から思えば信じられません。町でも、多くの人がくわえ煙草で歩いていました。又それが、なんとなくかっこよかったのです。

   でも今は路上喫煙は罰金です。

スポーツの世界でもそうでした。今では考えられませんが、プロゴルファーがグリーンをくわえ煙草で歩いていたのですよ。
私も、その頃よくテレビでゴルフトーナメントを見た記憶がありますが、あの傘のマークで有名なアーノルドパーマーだってプレイ中によく煙草を吸っているシーンがありました。その頃は、そんなことが許されていたのですね。

 話は、元に戻って、私がたばこを吸い始めたきっかけをお話ししましょう。本当に自然な流れでした。大学三年になってゼミを選択したのです。皆さんもよく知っておられると思いますがゼミは一般の授業と違い少人数で小さな教室で、比較的自由な雰囲気で、自分の研究課題を勉強するというものでした。我々のゼミは10名ぐらいだったと思います。その授業の間中、私とただ一人の女性以外みんなひっきりなしに煙草を吸うのです。ただでさえ、小さな教室なのに、もう30分もすれば酸欠になるほど、教室が煙だらけです。窓際の人が、気を使ってしょちゅう換気に神経を使っておりました。ゼミが終了したら、そこらにあるアルミの安っぽい灰皿がどれもこれも吸い殻の山です。タバコを吸いながら、難しい顔をしていたら何か本当によく勉強しているインテリみたいに見えたのです。

   「バカみたいな話です」

周りがみんなそんな感じの時代でしたので、私も、つい巻き込まれてタバコを吸い始めてしまいました。タバコを吸うという行為が習慣になると朝起きて寝るまでことあるごとに吸ってしまいます。何のためか、わかりませんが自分が大人になったような錯覚に陥るのです。
 それから、しばらくしてパイプという存在を知ったのです。一般的な紙巻きたばこと違ってその煙の臭いが何とも言えず、パイプをくゆらせながら、本を読んでいるとまるで学者気取りです。
 パイプを始めると、そのパイプをいろいろ集めたくなります。今でもそうだろうと思いますが、やっぱりダンヒルのパイプが一番でした。形はとてもオーソドックスですが何ともかっこよかったです。1本いくらだったか、覚えておりませんが、たいへん高かった印象があります。またそのパイプにつめる葉タバコも袋入りのものや缶入りのものなどいろいろあって、やっぱり外国のものが主流でした。多くはイギリスですがオランダの「アンホラ」という名前の葉タバコは甘いブランデーのようなたいへん良いにおいでした。とりあえず、どれも高価でした。ダンヒルのパイプでタバコをくゆらしていると行ったこともない異国の地にまるで自分がいるような錯覚を覚え、いかにも勉強に集中しているかのような自分に陶酔していたのでしょうね。

   ただ、カッコつけているだけなのに!

喫煙が習慣になりパイプをたしなむようになると今度はマッチではなくライターが気になるのです。今でも、熱狂的なファンが多くいると思いますが、あの有名な「ジッポー」です。ライターのふたを開けるとピンという音がして、もうたまらなくかっこよかったのです。ジッポのオイルライターのふたをピンとあけタバコに火をつけるシーンがよく映画に出てくるでしょう。
スチィーブマックイーンやクリントイースドウッドが渋い顔をしてタバコに火をつけるシーンが絵になり、なんとかっこよかったか。しかし、いくらかっこよくてもタバコは絶対体によくありません。
 自分の体だけの問題ではないのです。周りの人に迷惑がかかります。まして、換気の悪い小さな家の中で一緒に生活している家内や子供たちに悪いのにきまっています。以前からそのように思ってはいたのですが意志が弱く前述したように、なかなか禁煙できませんでしたが二男が生まれる前月の12月に一大決心をして、もうどんなことがあってもタバコは吸わないと決めたのです。自分のことだけでなく家族のためなら、そんなことぐらい仕方ありません。
 元旦からたばこを絶つと12月の初めに決めて、およそ1か月毎日ひたすら心に言い続けながら吸い続けました。

   「お前は、あほか!いつまでこんなものを吸っているのか!」

と、1本火をつけるたびに心に念じながら、12月末まで吸い続けました。その頃、私は大体1日に50-60本は吸っていたと思います。しかもやや強めの「ショートホープ」です。午前中に軽く20本は消化し麻雀なんかした時は、もう何本吸ったか数え切れません。

   今から思えば、なんと愚かなことか!

毎日毎日自分に言い聞かせ、暗示にかけ一か月を過ごしました。すると、月中ぐらいになると、もう吸いたくなくなってきたのです。それでもまた、同じように、同じことを言い聞かせ自分に暗示をかけ吸い続けたのです。
とうとう、大みそかになり明日は正月です。年が変わったらもう二度と、一生タバコを吸わないと決心しました。

おかげで、それ以来、1本も吸っていません。二男が今年31歳なので、つまり禁煙して30年以上になります。そういうやり方で、私は禁煙に成功しました。

 それなのに、今息子二人とも、たばこを吸っています。一体誰のために、こんな努力をしたのか、お前らわかっているのか、、、と言いたいです。

 今や、喫煙は病気です。タバコを吸う人は病人なのです。最近、どこの病院へ行っても禁煙治療のポスターがはってあるでしょう。つまり、たばこは病原菌なのです。たぶん、喫煙率も以前と比べるとだいぶ下がってきていると思いますが、もしこのブログを読んでくださっている方で、まだ煙草を吸っている方がおられるなら、今すぐに禁煙してください。
自分の意志では、なかなか難しいと思われる方は、病院へ行ってください。
 タバコは、おそらくまだまだ値上がりします。おやめになったら、月に二万円や三万円が軽く残るのですよ。まずは、健康第一です。そして、たばこをやめると喉の調子がよく何を食べてもおいしく感じるはずです。

   大切な命と引き換えにまだ吸い続けますか?

































































































 
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