2013.09.11 Wednesday
アラネットは今年 65周年です
記録ずくめの猛暑も、どうやら終わりを告げ、ちょっと朝晩が涼しくなり、ようやく過ごしやすい季節となりました。しかし、まだまだ残暑は心配ですが我々の商売では、そんな事は言ってられません。
当社の決算は7月末で、毎年この前後は頭が痛い事ばかりで、いつも、期首に今年こそは必ず輝かしい決算にしようと意気込むのですがなかなか思ったようにはゆきません。
当社も今期65周年を迎える事に成りました。
本来ならホテルでも借り切って盛大なパーテイをやりたいところですが、そういうわけにもゆきません。今、改めて振り返るといろんな事があったと思います。むしろ、よくここまで来られたなあと、感慨無量です。
私の親父がこの地で商売をスタートさせた時の事をおやじは時々いっておりました。それは戦後間もない頃で着る物よりも、その日その日の食べる事が大事で毎日まともな食事ができない状況だったのです。
戦争が終わり、そこらじゅうにまだ傷跡が残ってはいたのですが多少生活も落ち着きを取り戻して、さあこれからどうやって生きていこうかと皆が考えたようです。ちょうどそんなときに朝鮮戦争が始まり、日本は一気に景気が好転したのです。
アメリカとロシアの冷戦の始まりです。
元々日本は何でもできる力があったのですから、この朝鮮戦争を足掛かりに復興が加速し大きな原動力となりました。
ちょうどそんなころ、親父は起業したのです。
それこそ今とは何もかも全く違います。極端な表現をすれば、各家庭には何もなかったのですから「
物」さえあれば何でも売れるという状況です。親不孝者と、お叱りを受けるかもしれませんが、ある意味今よりも商売は楽だったと思います。
他人の店の軒先を借り商売を始めて、わずか2−3年で家を1軒買ったのですからすごい勢いです。年配の方ならご存知かと思いますが、昭和20年から30年代の事は今の若い方には全く理解できない社会状況だったのですね。
子供の頃の話ですが、私はうっすらと覚えております。
戦争から帰ってきて全くのゼロからのスタートです。親父の若い頃は必至だったと思います。
彼はいつも烈火のごとく怒っておりました。軍隊上がりで体が大きく、性格はいやらしいほど几帳面で、めちゃめちゃ短期で、、、そんな親父がこのアラネットの基礎をつくったのです。
もちろんよい事ばかりは続きません。私も良く知っておりますが、あの強気の親父に、もう商売をやめようかと思わせた事柄が何度かありました。
私が学校を卒業して他社で数年お世話になりアラネットに入ったのが昭和47年だったと思います。
その頃は、まだましでしたが昭和50年ごろから60年頃までは会社はガタガタでした。日本が高度成長し、世の中がやや裕福になりオリンピックがあり新幹線ができ、社会状況が大きく変化したにも関わらず、親父の頑固さは変わらず、旧態依然としたやり方でファションとは縁のない会社で、今から振り返ると、よくつぶれなかったなあと思います。
そうこうしている時に母親が他界したのです。さすがの親父もダメージが大きかったと思います。
世の中は平成になり我々の業界を取り巻く状況や社会の構造が大きく変化しました。そのもっとも大きな要因として挙げられるのが生産地がほとんど海外へ流出してしまいました。
今や衣料品の殆どが中国生産です。その中国製でもまだ高いと言って、ベトナム、ミャンマー、バングラデシュとドンドンコストの安い国へ移動していくのです。
しかしアラネットノポリシーは国内製造を貫く事です。
量販店ならいざ知らず、デパートであろうが、ちょっとした高級品店でも、ほとんどが中国製なんて面白くありません。
そんな自給自足的な考えにこだわっている事が時代に逆行し取り残されているのかもしれませんが私はアラネットは絶対 MADE IN JAPANでなくてはならないと思っております。
商売がいくら辛くても誇り高く高品質な物づくりに徹底しなくてはならないと思っております。
親父が現役を退いてから、私と弟二人が中心になり必至でやって参りましたが、その間もよく兄弟げんかをしたものです。しかし兄弟と言うのは不思議な物で、あくる日になれば、昨日の大喧嘩もすっかり忘れているのです。
兄弟の血と言う物は濃いのですねえ。
ところが、やはり若い人の力が必要です。長年同じ商売をやっていると「コレは、こうあるべきだ」とか「それはおかしい」とか自分自身で気が付いていない間に、どうしても考え方が片寄り内面から悪い固定観念が生まれてきてしまうのです。私自身、常に考え方は「柔軟」であらねばならないと思ってはいるものの、やはり老化して来るのですね。
幸いなことに数年前から息子ががんばってくれております。私から見れば、めちゃめちゃ危なっかしいのですが、努めて、とやかく言わない様に心がけているつもりなのですが「うるさいなあ」と思われているようです。
どういうわけか、息子は私とよく似ており猪突猛進で自信過剰ですが長い目で見てゆかねばと常に心に言い聞かせているのです。
それと私の代になって一番誇れることが一つあります。
それは社員です。
今こうして何とかやっていられるのも彼らが私を支えてきてくれたからです。私は感謝しております。
この65周年と言う一つの節目をきっかけにして、一大飛躍とまでは行かなくても「アラネットもなかなかやるじゃん」と思われるよう努力してまいります。
創業時の精神に立ち返り社員一同頑張りますので、益々の御贔屓賜わりますよう心よりお願い申し上げます。
敬具
当社の決算は7月末で、毎年この前後は頭が痛い事ばかりで、いつも、期首に今年こそは必ず輝かしい決算にしようと意気込むのですがなかなか思ったようにはゆきません。
当社も今期65周年を迎える事に成りました。
本来ならホテルでも借り切って盛大なパーテイをやりたいところですが、そういうわけにもゆきません。今、改めて振り返るといろんな事があったと思います。むしろ、よくここまで来られたなあと、感慨無量です。
私の親父がこの地で商売をスタートさせた時の事をおやじは時々いっておりました。それは戦後間もない頃で着る物よりも、その日その日の食べる事が大事で毎日まともな食事ができない状況だったのです。
戦争が終わり、そこらじゅうにまだ傷跡が残ってはいたのですが多少生活も落ち着きを取り戻して、さあこれからどうやって生きていこうかと皆が考えたようです。ちょうどそんなときに朝鮮戦争が始まり、日本は一気に景気が好転したのです。
アメリカとロシアの冷戦の始まりです。
元々日本は何でもできる力があったのですから、この朝鮮戦争を足掛かりに復興が加速し大きな原動力となりました。
ちょうどそんなころ、親父は起業したのです。
それこそ今とは何もかも全く違います。極端な表現をすれば、各家庭には何もなかったのですから「
物」さえあれば何でも売れるという状況です。親不孝者と、お叱りを受けるかもしれませんが、ある意味今よりも商売は楽だったと思います。
他人の店の軒先を借り商売を始めて、わずか2−3年で家を1軒買ったのですからすごい勢いです。年配の方ならご存知かと思いますが、昭和20年から30年代の事は今の若い方には全く理解できない社会状況だったのですね。
子供の頃の話ですが、私はうっすらと覚えております。
戦争から帰ってきて全くのゼロからのスタートです。親父の若い頃は必至だったと思います。
彼はいつも烈火のごとく怒っておりました。軍隊上がりで体が大きく、性格はいやらしいほど几帳面で、めちゃめちゃ短期で、、、そんな親父がこのアラネットの基礎をつくったのです。
もちろんよい事ばかりは続きません。私も良く知っておりますが、あの強気の親父に、もう商売をやめようかと思わせた事柄が何度かありました。
私が学校を卒業して他社で数年お世話になりアラネットに入ったのが昭和47年だったと思います。
その頃は、まだましでしたが昭和50年ごろから60年頃までは会社はガタガタでした。日本が高度成長し、世の中がやや裕福になりオリンピックがあり新幹線ができ、社会状況が大きく変化したにも関わらず、親父の頑固さは変わらず、旧態依然としたやり方でファションとは縁のない会社で、今から振り返ると、よくつぶれなかったなあと思います。
そうこうしている時に母親が他界したのです。さすがの親父もダメージが大きかったと思います。
世の中は平成になり我々の業界を取り巻く状況や社会の構造が大きく変化しました。そのもっとも大きな要因として挙げられるのが生産地がほとんど海外へ流出してしまいました。
今や衣料品の殆どが中国生産です。その中国製でもまだ高いと言って、ベトナム、ミャンマー、バングラデシュとドンドンコストの安い国へ移動していくのです。
しかしアラネットノポリシーは国内製造を貫く事です。
量販店ならいざ知らず、デパートであろうが、ちょっとした高級品店でも、ほとんどが中国製なんて面白くありません。
そんな自給自足的な考えにこだわっている事が時代に逆行し取り残されているのかもしれませんが私はアラネットは絶対 MADE IN JAPANでなくてはならないと思っております。
商売がいくら辛くても誇り高く高品質な物づくりに徹底しなくてはならないと思っております。
親父が現役を退いてから、私と弟二人が中心になり必至でやって参りましたが、その間もよく兄弟げんかをしたものです。しかし兄弟と言うのは不思議な物で、あくる日になれば、昨日の大喧嘩もすっかり忘れているのです。
兄弟の血と言う物は濃いのですねえ。
ところが、やはり若い人の力が必要です。長年同じ商売をやっていると「コレは、こうあるべきだ」とか「それはおかしい」とか自分自身で気が付いていない間に、どうしても考え方が片寄り内面から悪い固定観念が生まれてきてしまうのです。私自身、常に考え方は「柔軟」であらねばならないと思ってはいるものの、やはり老化して来るのですね。
幸いなことに数年前から息子ががんばってくれております。私から見れば、めちゃめちゃ危なっかしいのですが、努めて、とやかく言わない様に心がけているつもりなのですが「うるさいなあ」と思われているようです。
どういうわけか、息子は私とよく似ており猪突猛進で自信過剰ですが長い目で見てゆかねばと常に心に言い聞かせているのです。
それと私の代になって一番誇れることが一つあります。
それは社員です。
今こうして何とかやっていられるのも彼らが私を支えてきてくれたからです。私は感謝しております。
この65周年と言う一つの節目をきっかけにして、一大飛躍とまでは行かなくても「アラネットもなかなかやるじゃん」と思われるよう努力してまいります。
創業時の精神に立ち返り社員一同頑張りますので、益々の御贔屓賜わりますよう心よりお願い申し上げます。
敬具