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ALANET 社長ブログ

京都唯一のスーツメーカーの二代目社長の
ファッションと映画の今昔歴
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映画「少年H」を見て
  先日、映画「少年H」を見ました。封切りまえから気になっていた作品ですが、なんせこの不自由な足ですから、映画館には行けず、やっとDVDが出たので早速借りました。
楽しみにしていたので、もう期待満々です。いつものように、風呂に入って、食事を済ませ気持を穏やかにさせて、ゆったりと観賞しました。
 
舞台は神戸で、戦前、戦後の街の様子が大変うまく再現されていて、面白かったです。主人公は町の洋服の仕立て屋の息子で、Hとはその息子の名前の頭文字です。さすがに神戸の洋服屋らしく、お母さんが編んでくれたエンジ色のセーターの胸に大きくイニシャルの「H」がマークされ大変おしゃれですが戦争中のため、たったそれだけの事でまるで売国奴のように思われ、さらにその家族は以前から敬虔なクリスチャンでスパイではないかと、疑われるのです。戦争が始まったのでアメリカへ帰られたシスターが一枚の絵ハガキを送ってくるのです。それがエンパイヤーステートビルの絵ハガキです。彼も彼のお父さんもアメリカのことは教会を通じて良く知っており、そんなアメリカと戦争をして勝てるわけがないという事をよく解っているのです。しかし悲しいかな戦時下でたとえそのように思っていても口には出せません。誠に恥ずかしく、心の狭い時代だったのですね。
 そんな社会状況で、国民の考え方や生活が一変してしまうという事は、たいへん恐ろしい事であると思います。

 今日、お話ししたい事は、そんな天下、国家を論じるような大きな話ではありません。戦前、戦後の時代の流れに翻弄される、この「少年H」と言う映画を観て、私の子供の頃の近所の二軒の家の、それぞれの家風と言うか、それぞれの家の考え方の違い、又は家の雰囲気と言うか、匂いの違いを思い出したので書こうと思います。

   私の小学校の低学年の頃の話です。

もう全く対照的な二人の同級生の家庭で今から思うと何とも不思議な雰囲気の家でした。決して私の家が普通だったというわけでもないと思いますが、、、、

 その一人は、旧家で、お金持ちで主人はお婆さんでした。そのおばあさんの旦那さんは戦争で亡くなられており、戦後、女手一つで家業を守って来られ、それはそれは厳しい女主人でした。
よくその同級生の家へ遊びに行った記憶があります。
その女主人が番台に座っておられると、もう怖くて怖くれ、何も悪い事をしていないのに、何時怒られるのかとヒヤヒヤし、コソコソといつも隠れたものです。そして、そこの家はどうやら代々女系のようです。その女主人の一人娘が私の同級生の母親です。主人からしてみると、やっと生まれ孫が男の子で、しかも一人息子で、もう大事に大事に、まるで腫れ物に触るかのように育てられ、本当に「ぼんぼん」でした。そしてその同級生のお父さんは、いわゆる養子さんです。あんな怖いお婆さんの、老舗の家に、そのお父さんもよく養子として、来られたなあと、今になったら思いますが、小学生の私には、そんなことまるでわかりませんので、変わった家やなあとしか思いませんでした。

   ある夜の話です。

何の用事でその同級生の家へ行ったのか、覚えておりませんが、七時ごろその友人の家へ行きました。ちょうど食事中の事でした。

   「荒川君がきはったえ」

と、言ってくれたのは同級生のお父さんでした。私が驚いたのは、その食事中の家庭の雰囲気です。お金持ちの立派なお家だったので、たいへん大きく、きちんと整理され掃除も行き届いて入り、居間は大変大きく、その奥に坪庭があり、さらにその奥には離れがありました。その離れの奥には、立派な黒い扉のある大きな蔵がありました。きっとたくさんのお宝があったのでしょうね。
 昭和32−33年の頃なので、まだテレビはありません。
一切会話はなく、お箸が茶碗に当たる音だけが、あちこちから聞こえるだけで、子供乍に私には何か異様に感じられました。とりあえず、食事中は一切しゃべってはいけないのです。

   このお家の決まりなのです。

それだけではありません。もう一つ驚く事がありました。

   それは食事中の席順です。

ひとり息子で一番大事にされていたその同級生が、一番の上座に座っているのです。そしてその横に、おばあさんである怖い怖い女主人です。その下に、お母さんがいます。お母さんの下に上女中と下女中の二人の女中が座っているのです。養子であるお父さんは、一段下の玄関からチョット上がった、その皆の食卓である居間の隣の三畳ほどの板の間で、しかも箱膳で食事をされているのです。それだけではありません。居間には電燈があり暗いながらも、辛うじて食事ができる明るさはあるのですが、その養子であるお父さんの座っておられる場所には電燈がないのです。居間から一段下がった、その薄暗い狭い場所で会話もせずに黙々と、ご飯を食べておられる風景が何とも奇妙で異様な感じがしたのです。

   まるでホラー映画の一場面の様です。

その同級生は、そんな環境で育ち、それはそれは大事に育てられました。頭は良かったのですが、ものすごくわがままで、自分勝手でした。とりあえず、自分さえよかったら、それで良いという人でした。国立大学を現役で受かり、前途洋々たるスタートを切ったのですが問題はそれからです。
 大学を卒業し、一流企業に就職し、我々も、さすがやなあと思っていたのですが、転落はそれからです。その企業を退職し、自分の家業を継がれたのです。何の苦労もないボンボン育ちで一流大学出で、エリート社員が古い体質の、数人の社員の、わずかな、細々とした商売でつないでいる、そんな家業に、いきなり社長になって入ってきても、上手くいくわけがありません。
 結局、その代々続いた老舗の店はわずか数年でつぶれてしまいました。爪に火を点すような思いで、三度のご飯を二度にしてでも、常に家の中の電気を消して歩き、考えられるすべての物に対して節約し、下駄の端が減るのを心配して、あまり出歩かず、そこから出てくる僅かな利益の積み重ねで代々続けてこられた、その商売を、ほんの数年でつぶしてしまったのです。彼は自己破産され、何もかも失い、今はどうされているかは知りません。

 それと対照的な家庭が近所にありました。そこの家はどうやら貧しく家の中は散らかしっぱなしでした。私は、滅多にそこのお家には行きませんでしたが、おじいさんとおばあさんがおられ、貧しい家の子だくさんを象徴するように五人兄弟でした。末の子は、まだ生まれて間もなくギャアギャア泣いており、お母さんの背中に抱っこされ、裏の土間で井戸水を流し、たらいで洗濯せれていました。

   「荒川さんのボンがきはったえ」

と大きな声でお母さんが同級生をよんだのですが、二間しかない家でそんな大声を出す必要がありません。もう、家の中はゴチャゴチャでこんな大人数がどうやって、この狭い二間で寝られるのか不思議でした。居間のちゃぶ台に「蒸し芋」が置いてあったのですが、アット言う間に無くなります。食うか食われるかの世界なので早い者勝ちです。前述の家庭とは大違いで、下品ではありますが、メチャメチャ活気にあふれているのです。畳がアチコチ破れていて、ワラが出ており、それを子供が面白がってむしるのです。それを観て、お母さんは大きな声で怒ります。そんな時、スキを見て下の子は障子に指を突っ込んでゲラゲラ笑って遊んでいます。
 
もう、そんなヒッチャカメッチャカの家の次男として私の同級生は育ちました。家が貧しかったために、彼は高校を出て大阪の繊維会社へ住み込みで就職しました。

決して裕福ではない、しかし愛情あふれる家庭でたくましく育てられ、その同級生は、そこの会社の役員に迄なったのです。人柄も、温厚で人の事をいつも気遣い、今では立派な紳士です。

 私の小学校の頃の、この二つの対照的な家庭に育った二人の同級生の半世紀の生きざまを、この年になると、妙に感慨深いものに感じます。今思う事は、人間に必要なのは家柄や財産ではなく家庭の愛情であると思います。
その貧しい家のお母さんは朝から晩まで働いておられました。もちろん、化粧など一切せず、やや浅黒く、髪の毛も束ねて、後ろでくくってあるだけでした。しかし、パワーに溢れ笑顔がものすごく美しく、魅力的なお母さんでした。

 映画「少年H」をみて、全く違うこの二つの家庭を思い出したのです。


       プライバシーもありこの話はフィクションとノンフィクションを織り交ぜております。
       









































































































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