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ALANET 社長ブログ

京都唯一のスーツメーカーの二代目社長の
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テレビ好きの老人のたわごと
いつも息子に年寄りみたいに一日中テレビばっかり見ていると、怒られています。確かに以前よりも良く見ているように思います。脚が悪くなってからというもの外へ出歩く機会が大幅に減り、休みの日などは本を読んでいるかDVDを見ているかテレビを見ているか、そんな退屈な時間のすごし方が大変増えてしまったように思えます。自分でも、これではアカンなあと反省しておりますが、いざ出かけても歩けないので家内の足手まといとなり、つい閉じこもりぎみになります。

   単なる年寄りの「ひきこもり」です。

今後のことも考え家内にはよくしておかないと、ほって置かれたら大変です。いざ頼れるのは家内しかおりません。

そのテレビの話題で誠に恐縮ですが、何時も見ているのはほとんどNHKです。決してNHKが好きというわけでもなく、NHKの味方でもないのですが、民放のバラエテイ番組は、許せません。なんで、あんなしょうむない番組ばかり作っているのかがわかりません。又、ソレを見て喜んでいる視聴者にも疑問を感じます。芸人が自分でヘラヘラ笑っているのを見て何が面白いのか?
そのように思うことが、私自身老化したのかも知れませんので、あまりバラエテイ番組の批判はできませんね。

 話を元に戻して、NHKの大河ドラマは大好きです。特に戦国時代のものと幕末から明治維新の話がとても面白いです。毎年、大概見ておりますが何年か前の平清盛は見ておりません。画面が暗く、人物の関連性が複雑で、ソレと主役が好きになれず2−3回で見るのをやめました。

  やはり、台本や演出は大事だと思います。

今年は私の好きな戦国物で「官兵衞」です。1月のスタートからずっと欠かさず見ておりますが大変楽しんでおります。

   ただ、チョットだけ不満があります。

主人公の黒田官兵衛も豊臣秀吉も大変熱演でいいのですが、肝心の信長がどうも私のイメージと合いません。きっと私のわがままだと思いますが私の思い描いている信長のイメージと今年の大河ドラマの信長がどうもあわないのです。もっとも、信長はおよそ450年ぐらい前の人ですから、会ったわけでもないからまったく分かりませんが私の知る限りもっと冷徹で、シャープで、天才的で、かみそりのような人物だったのではないかと思うのですが、このドラマに出てくる信長は優しすぎるのです。
あの戦国時代に日本中の名だたる武将を震え上がらせたカリスマ的な信長像を演じることは本当に役者として難しいと思いますが、もう少し研究して欲しいと思います。

   ニヤニヤ笑っている信長などありえません!!

ちょうど、同時期に1冊の本を一月ほどかけて、丁寧に読みました。私の好きな日本史の、とくに好きな信長の話です。ひょっとして、皆様も読まれたかもしれませんので、その本の内容よりも、感じたことだけを書こうと思います。

   「本能寺の変 431年目の真実」という題名です。大変面白かったです。

今と違って戦国時代はやるか、やられるかの世界で、天下統一をするためには敵対する相手をすべて殺さなければならない時代なのです。相手の大将だけではありません。女、子供すべてです。なんとひどい時代なのでしょうか?
そしてその時代の中でもこの「本能寺の変」が最も面白いです。

なぜ明智光秀は信長を討ったのか?また、黒幕は誰なのか?

徳川家康を接待するに当たって、イロイロと信長にいじめられたからといっても果たしてそれだけの理由で信長を討つでしょうか?私は明智光秀はそんなアホな武将ではなかったと思います。今と違い、情報を伝達する手段が非常に乏しい時代でも割と蜜に連絡が取り合われていたようです。

そんな戦国時代におきたあの「本能寺の変」、ものすごくなぞが多く歴史のロマンを感じます。また、その「本能寺の変」の資料も多くは後世に作られたもので、その時代の政治家の都合のよい資料作りになっていると思われます。まるで、悪者扱いされている明智光秀だって本当はどんな人だったのか良く分かりません。
そして、ケイタイもない時代に信長が本能寺で殺害されたことがあまりにも早く秀吉や家康に伝わったことや、そしてソレを聴いて毛利氏と、にらみあっていた秀吉が驚くほど早く京都へ戻ったこと、光秀が事件後すぐにやられてしまったこと、など
いっぱいなぞがあります。
 そもそも、あんな慎重な信長がなぜ無防備の状態で本能寺に泊まっていたのでしょうか?

話は長くなりますが、もっと私に暇ができたら(今でも結構ヒマですが)この本能寺の変で「もし信長が生き延びていたら」、、というフィクションの話を面白おかしく書きたいと思います。
あの時代に血のように赤いワインを常に愛飲し、自分のボデイガードに宣教師がアフリカから連れてきた黒人を常に横に従え、地球は丸く、世界はとてつもなく広いということを把握していた信長が、また外国の宗教であるキリスト教の布教を認めた、あの信長が、もし本能寺の変をのりこえて生きていたとしたら、、考えるだけでもめちゃくちゃ面白いじゃないですか?

   きっと、江戸時代は存在しません。

なぜなら、本能寺の変は家康を討つために信長が仕組んだものではなかったのか、という説もあるぐらいです。ちょっとだけ、簡単に紹介しましょう。

   「信長自信が仕組んだという説」

その時代、家康はナンバー3で秀吉の次に力があり、いずれパワーをつけて信長の天下統一のじゃまになり、脅威と感じ抹殺する必要があったのです。そして、本能寺で茶会をすると家康を招待し、あえてお互い無防備を装い、そのスキに乗じて家康を討つという策略を信長が立てていたという説です。実は、その本能寺は近くにある南蛮寺というお寺に通じる地下トンネルが掘ってあったそうです。信長はそこから抜け出して脱出する手はずであったのですが、そこえ予定外の光秀が攻め込んできたという話ですが、なんと、映画のような話じゃないですか?
 本能寺を焼き払ってから、光秀は必死に信長の遺骸を探すのですが、とうとう見つけることができなかったそうです。ところが、数日後、ある僧侶が焼け落ちた本能寺へやってきたのです。その僧侶(名前を忘れました)は信長に子供の頃から大変世話になった人で、その事件後、自分の人生を信長の供養にささげたそうです。
光秀が大勢の人間を動員して必死になって、探しても見つけ出すことができなかった信長の遺骸をどうしていとも簡単に見つけ出しお寺まで運んだのでしょうか?
 そのお寺は寺町今出川上がるに今でもあります。

   たまらなく、面白いじゃありませんか。

そして、もし信長が生き延びて天下統一を果たしていたら日本はどんな世の中になっていたでしょう。
結局、失敗に終わった秀吉の朝鮮攻めや、中国やヨーロッパへの進出など今の時代では想像もできない行動を信長は執っていたのではないでしょうか?
 そんなわけの分からない想像を小説にしても映画にしても、きっと面白いと思いますが、歴史学者の方から「おまえはアホか」とお叱りを受けそうです。
しかし、義経が生き延びて東北から北海道を経て、大陸に渡りジンギスカンとなり、二度にわたり日本を攻めてきたという話のようにロマンがいっぱいあって、面白いと思いませんか?

 自分の言うことを聞かない者、すべてを殺してまでも自分の描いた世の中を作ろうとした信長の壮大なビジョンとはいったいどんなものだったのでしょうか?それと、ある日突然、光秀によってそれを阻止された無念さは計り知れないものがあると思います。ワクワクするような話じゃないですか。

   ときはいま、あめのしたしるさつきかな

               単なるテレビ好きの老人のたわごとです。



































































































 
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