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ALANET 社長ブログ

京都唯一のスーツメーカーの二代目社長の
ファッションと映画の今昔歴
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あまり良くない「夢」の話
 黒澤明ではないのですが、又夢の話で恐縮です。

   夢は本当に不思議ですね。

見ようと思っても、なかなか見られませんし、又自分の好みの夢もそう簡単には見られません。ソレと、たびたび同じような夢を良く見ます。しかし私は寝汗をかくような悪い夢を見て飛び起きるような、そんな経験は一度もありません。

   たいてい、何気ない話ばかりです。

私は自分が見る夢に興味があり(家内にはぼろくそに言われますが)自分なりに自分の夢の分析をしているのですが、多少解明できたことがあります。ソレは人には言えずいつも自分の心の中だけで気にしているようなことを夢でよく見るようです。そして、その夢の中の話は子供の頃と現在とが、いつも一緒くたになり私の子供の頃の話なのに、そこに息子が出てきたり又最近では孫の拓郎までが登場したりするのです。

   面白いですね。

ひと時の間、時間つぶしと思って、つまらない私の夢の話にお付き合いください。

つい最近見た、やや長編の夢の話です。いつも私はあまり夜中に眼が覚めるということがないのですが、その日はたまたま夜中の三時半ごろ目が覚めました。めんどくさいけれど一度トイレにいって又寝なおそうと思い一大決心で起き上がり、眠たい目をこすりながらトイレに行きました。本当はそんな大そうな話ではないのです。

   私の部屋の横がトイレです。

すっきりした気持ちで床に入り直ぐ寝られました。元々私は寝つきの良いほうで横のなったらすぐ寝られます。いつも家内に言われます。

   「あんたは気楽やなあ」  そのとき見た夢の話です。

(確かに気楽です。夢で見たなんでもない話をわざわざブログで書くのですから!!)

ソレはいつごろの話かは、分かりませんがきっと50年ぐらい前の話だと思います。弟と二人で電車に乗って神戸へ行くのです。
(ソレと不思議にこのごろ弟と子供の頃遊んだ夢ばかり見るのです。)
学生の頃だったと思いますが、弟とよく神戸の高架下商店街に行きました。そこには米軍の払い下げ物資が沢山売られており、チョット気の利いた店にはアメリカ製のチノパン、Tシャツ、スタジャンそしてジーンズなどいっぱいありました。

   みんなMADE IN USAです。

アメリカの東海岸の学生のファッションがたまらなく魅力的だったのです。今から思うと敗戦国の日本が勝戦国のアメリカの文化にあこがれるなんて不思議ですね。きっと日本人全部がアメリカに洗脳されていたのでしょう。
 オックスフォード地のボタンダウンのシャツを着てリバイスのジーンズやデッキーズのチノパンをはいて、靴はバスかセバゴかボストニアンのローファーです。オールデンやフローシャイムは学生にはちょっと贅沢です。

   いわゆるアイビールックです。

一ドル360円の時代だったのでアメリカ製のものはなんでも高嶺の花でした。そのとき急成長したのがバン ジャケットです。今もそのアイビールックはファッションの基本にさえなっております。私の心の中で、きっとそのころの印象が強く残っていたのだと思います。

せんど神戸の町を弟と二人でウロウロし、かえりの電車に乗るころには、もうだいぶ日がくれかけていました。慌てて、電車に乗って京都についたときは、もうすっかり夜になっていました。しかも、雨が降っているのです。不思議なことに到着したのが今はモウ走っていない市電の停留所で、きっと四条河原町のような景色でした。タカシマヤの前なのに交通量も少なく今とはだいぶ違う雰囲気です。傘を差して歩いておられる人の服装が、どうも昔ぽいのです。雨が強く降ってきたので、大急ぎで家に向かったのですが、次に現われた場所がなぜか反対方向の清水の参道の坂の途中です。今も昔もその場所にそんなものがあるはずがないのですが、その清水の参道に「うどんや」が何軒も並んでいるのです。その清水も弟とよく行った場所です。
私も弟も、うどんや蕎麦が大好きです。弟が

   「腹減ったし、うどん食べよか!」  と言いました。

早く家へ帰らないと怒られるとヒヤヒヤした気持ちを夢の中で感じながら、こんなところにうどん屋が何軒も並んでいるのだから、お腹も減ったことだし、うどんを食べようと言うことになり5−6軒ある中の一番こぎれいな店に入りました。弟いわく

   
   「えらいはやってるなあ!」

あまり人が多いので、とりあえず、うどんを注文して私と弟は店の外においてある椅子に座って食べました。面白いことにそのうどんの味まで夢の中でリアルに感じられたのです。今の時代、たとえ立ち食いうどんでも、どこで食べても、大概おいしいですが、その夢の中で食べたうどんは素朴なまったく昔の味でした。値段も安くきつねうどんが35円です。お腹が減っていたこともアリ、大変おいしかったです。

   「ああ、モウこんな時間や。はよ帰らんとおっさん怒りよるで!」 と弟が言いました。

慌てて二人で走りました。ところが、着いた場所が50年タイムスリップして今の会社なのです。遅くなって帰ったら又おやじに怒られると言う気持ちを夢の中で引きずったまま到着したのがなんと現在の会社なのです。おやじは平成10年になくなっていますので、いるはずがありませんが、しょちゅう怒られていたので頭の中には、また怒られるという意識が残っているのでしょうね。「また怒られたらかなん」と思い「ただいま」を言いに行かねばと会社の裏口から外へ出ると再びタイムスリップし昔の景色に逆もどりしました。昔は会社の裏に家があり、そこにおやじが住んでいたからです。

   「はよ、いかなアカン」 と慌てているときに目が覚めました。

ちょうど朝の6時過ぎで、いつも私が起きる時間です。

   「なんや夢か。けったいな夢やったなあ!」と思いました。

誠につまらない夢の話ですが、話の筋があまりにも鮮明だったので念のためにもう一度今見た夢を思い起こしました。その中で確実にひとつだけずっと気にしており、しかし人にはあまり言えないことがそこには存在するのです。

弟は昨年の七月に肺がんを宣告され余命半年といわれました。それ以来入退院を繰り返し今日に至っておりますが、本人はとりあえず寿命が一年延びたと言っております。

私と弟は二人兄弟で、しかも二人とも親の後をついで今日に至っております。おやじが生きていた頃はさほど感じませんでしたが、おやじがなくなってから、どうあっても二人で会社を守っていかねばならないという意識があり以前よりいっそう兄弟という血のつながりを強く感じました。弟とは口げんかはよくしましたが絶対私には、逆らいませんでした。常に、兄である私をたててくれ、すべて私の判断に従ってくれました。二人三脚でやってきたのですから、人には言いませんがいつも弟の病気が気になって無意識に元気だったころの弟の夢を良く見るのだと思います。しかも、その夢の多くは子供の頃二人で遊んだ夢ばかりです。もう65年も共にいるのですから、きっと当たり前なのでしょうね。
昨年の七月以来会社の用事からは一切はずして、治療に専念していますがやはり心配でなりません。

  一日も早く回復することを祈ってます。




































































































 
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