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ALANET 社長ブログ

京都唯一のスーツメーカーの二代目社長の
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免許書返納について
 もうかれこれ車を運転しなくなって、およそ一年半が過ぎます。以前ブログで書いたように2014年10月2日に交通事故を起こしました。事故そのものは、たいしたことはなかったのですが、そのことで私の自尊心が大きく傷つけられました。どちらかというと、私は車が好きなほうで、そのことが大変ショックでしたので、それ以来ずっと乗っていません。車を運転しないと決心するのに大変なエネルギーが必要でしたが、元来意地っ張りなので自業自得です。そこへ先日、免許書の更新の案内が来たのです。私の誕生日は四月ですので、とうとう来たかと思いました。なぜとうとうきたかと思ったかと言う訳があるからです。
 その一昨年の事故以来、ハンドルを握っておらず、今度更新の案内が来たら返納しようと思っていたからです。本当はとても寂しいのですが仕方ありません。ほぼ50年近くずーっと車に乗っていたので、なんとも言えません。

ブログで披露するのはちょっと恥ずかしいのですが免許書を取るきっかけになった話しをしたいと思います。あれは私が19歳の頃だったと思います。家の近所に、一歳年上の大変キレイな女性がおられたのです。私は高校生の頃から気にしておりましたが、いわゆる高嶺の花で近寄ることが出来ませんでした。道で出逢っても、チョット挨拶をするぐらいで話しかけることなど到底出来ませんでした。
あれは19歳の夏だったと思います。場所は寺町御池の市役所あたりです。なぜなら彼女の家が直ぐそこなのですから、当たり前で、あっ又今日も会えた、、、と思い軽く頭を下げたのです。すると彼女がニッコリ微笑んで近づいてくるではありませんか!心臓の鼓動が急激に高まり、わあどうしよう、落ち着いてと心に言い聞かせ「こんにちは」と初めて挨拶をしました。
「荒川さんでしょう。私は前から知っていました」と、彼女から話し掛けてきてくれたのです。もうどうして良いやら、私は上ってしまったのですが、こんなチャンスは二度とないと思い、嬉しさのあまり足がガクガクしていたのですが、冷静に、冷静にと言い聞かせながら「ああ、こんにちは。お話しするの、初めてですね」と、まるであまり関心がないような返事をしました。しかし、それが精いっぱいでした。
真夏の強い日差しの日で、市役所の前の木陰での出来事でした。それがきっかけで、お付き合いが始まりました。そしてしばらくて、彼女から「ドライブいかへん?」と誘われたのです。なんと、哀しいことにその時私はまだ免許を持ってませんでした。それなのに、彼女はもうすでに自分の車も持っていたのです。彼女は近所でも、お金持ちで有名なおうちの娘さんでした。その市役所前の劇的な出逢いからしばらくして、彼女は車で私の家へ迎えに来てくれたのです。それがはじめてのデートでした。その時、私は有頂天でしたが、免許書がありません。彼女と楽しいドライブをするために、どうしても免許をとらなくてはなりません。いつまでも、乗せて貰っている訳にはゆきません。そんなかっこ悪いできません。
   それが免許を取るきっかけでした。

一般的に、このごろの若い人は車ばなれの世代だと言われています。われわれの若い頃は、もう車が欲しくてたまりませんでした。とりあえず、車がなかったらカッコ付かないのです。それは生活の道具と言うよりもステータスなのです。しかも、憧れは燃費の悪いツーシーターのスポーツカーです。トヨタ2000GTやニッサンフェアレデイZなどは、憧れの的でした。
 無理は承知で親父によくせがんだものです。
    「あんな車ほしいなあ」、、答えは分かっています。決まって、、、
  
    「あほか!!そんなもんいらん。車は走ったらええんや。」と、、、

 それでも、その頃はカッコええ車が欲しくてたまりませんでした。今の若い人達の多くは、そおいう所有欲に乏しいように思われます。親父がよく言っていたように、車は経済的に効率よく走ったらよい道具なのです。カッコは二の次です。なんか、夢がないように思いませんか。

     それから、およそ50年。

いろんな想い出がいっぱいありますが、人生の大半を車と共に過ごしてきたと思います。まだ息子が小さい頃、毎日幼稚園へ送って会社に行きました。そして、その頃は月のうち二十日ぐらいは出張で車に乗ってあちこちに行っておりました。
 すべて、車なしでは考えられません。それがミトコンドリア病なる難病を患い運転することが大変危険な状態になってしまったのです。難病というのは治療の対処法が確立しておらず、月に1回、京都の西のほうにある宇多野病院へ通院しておりますが、回復のめどは全くありません。ただ、この病気ですぐ死ぬと言うことはなく、だんだん足の機能が衰え、いずれは車椅子の状態になるのですが、哀しいかな、このごろ悪化していることを感じ、断腸の思いで車の運転を断念した次第です。
 お陰で、家内や息子に迷惑をかけているのですが、いちいち「すまんな」と言い肩身の狭い思いをしております。そして、とうとうここにきて運転免許書を返納する決心をいたしました。
 気持ち的には「まだまだ、どうもあらへん」と思っていても、足が思うように動かず、万が一、大きな事故を起こすようなことがあってはなりません。

 まるで人生の終盤のような気分になりますが、車以外の楽しみを見つけ、考え方を変えなければなりません。

    本当は大変寂しく、大変不便です。


  追伸

免許取得のきっかけとなった彼女との出逢いの話は、当然 家内には言っております。なぜなら、その彼女と家内は知り合いで、家も目と鼻の先でもあり、学校も同じで先輩、後輩の関係でもあったのですから。
    彼女の名前は「えっちゃん」といいます。




























































 
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